立体来迎図〜即成院・二十五菩薩坐像
平安の仏像オーケストラと呼ばれている
「二十五菩薩坐像」がおられる
即成院(そくじょういん)へ。
毎年10月には「二十五菩薩練供養」
で知られています。
総門前にあるのですが、
「御寺 泉涌寺」の
塔頭(たっちゅう)寺院のひとつです。
塔頭(たっちゅう)寺院のひとつです。
伏見長者と称された 橘俊綱 の創建で、
元伏見大亀谷に所在したのですが、
廃仏毀釈で住職がおられなくなったとか。
そんな事情もあって、
泉涌寺塔頭の法安寺と合併し、
1902年(明治35)再興されたそうです。
観られるということです。
そう特別拝観ですよ!!
来迎図といえば、
あのお往生者を迎えるため、
阿弥陀如来と二十五菩薩が
急峻な山頂ごしに飛雲に乗って降下される。
「早来迎」(はやらいごう)として知られる
「阿弥陀二十五菩薩来迎図」です。
付き従われる菩薩さんは
いろんな楽器を奏でて、
飛雲たびなかせてお出ましになる。
1094年(寛治8)に造られたという
阿弥陀如来と二十五菩薩。
「立体曼荼羅」として名高い
「東寺 講堂」が、
仏教布教の道標であっとすれば、
こちらは極楽浄土のシンボリックだと
いえるのかも知れませんね。
実際はこんなふうに並んでおられます。
寺伝では恵心僧都源信の作と言われていますが、
近年の研究によって平安時代の代表的仏師、
定朝とその弟子の手によるものと言われています。
橘俊綱の父は関白であった藤原頼通で、
あの宇治平等院を建てて極楽往生を願った人です。
「即成院」は平安時代に恵心僧都が建立した
「光明院」がルーツといわれていて、
橘俊綱は父にならって阿弥陀堂として
伏見桃山に造られた広大な山荘に移設したそうです。
「平等院 雲中供養菩薩像 南21号像 」
菩薩さんは平等院では雲になったお姿で
壁面より阿弥陀如来を支えておられます。
こちらは笙(しょう)を奏する姿。
「平等院 雲中供養菩薩像 南1号像」
「阿弥陀二十五菩薩来迎図」です。
付き従われる菩薩さんは
いろんな楽器を奏でて、
飛雲たびなかせてお出ましになる。
1094年(寛治8)に造られたという
阿弥陀如来と二十五菩薩。
「立体曼荼羅」として名高い
「東寺 講堂」が、
仏教布教の道標であっとすれば、
こちらは極楽浄土のシンボリックだと
いえるのかも知れませんね。
実際はこんなふうに並んでおられます。
寺伝では恵心僧都源信の作と言われていますが、
近年の研究によって平安時代の代表的仏師、
定朝とその弟子の手によるものと言われています。
橘俊綱の父は関白であった藤原頼通で、
あの宇治平等院を建てて極楽往生を願った人です。
「即成院」は平安時代に恵心僧都が建立した
「光明院」がルーツといわれていて、
橘俊綱は父にならって阿弥陀堂として
伏見桃山に造られた広大な山荘に移設したそうです。
「平等院 雲中供養菩薩像 南21号像 」
菩薩さんは平等院では雲になったお姿で
壁面より阿弥陀如来を支えておられます。
こちらは笙(しょう)を奏する姿。
「平等院 雲中供養菩薩像 南1号像」
こちらは「拍板」(はくばん)。
中国の木製の相互打奏体鳴楽器です。
中国の木製の相互打奏体鳴楽器です。
中国で使われるのと少し形が違っていて、
こちらはアコーディオンのような感じです。
即成院のは居並ぶ二十五菩薩も
それぞれ150センチあって、
どれもが同じフォルムで形づかれています。
内陣で見上げるとより大きく感じられました。
25なので左右のバランスを保つため、
「番外」として如意輪観音がおられます。
本来二十五菩薩には
本来二十五菩薩には
入らない仏さまなのですが、
あらゆる願いを叶えるといわれる
如意宝珠を手にされて、
物思いに耽るポーズがなんとも色っぽい。