願いが的へ〜与一さんにあやかる(即成院)
源平の合戦のひとつ「屋島の戦い」で、
平家の船上に掲げた扇の的を
見事一発の弓矢にて射抜いたと知られる
弓矢の名手 那須与一さん、
源義経の家来であったそうですが、
義経の命を受け京に向かうさなか、
突然の病に倒れたそうです。
伏見で療養されていたそうで、
即成院の阿弥陀さまの仏徳を感じられて、
出家された後は源氏平氏ともに、
菩提を弔うという人生を歩まれました。
『平家物語』にある
那須与一さんのお話はこんな感じです...
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寿永4年(1185年)2月、
讃岐屋島へ逃れた平家を追って、
義経は海路阿波に上陸、陸路屋島に迫り、
背後から平家を急襲されました。
驚いた平家軍は、船に乗って海へ逃げたのですが、
源氏軍が案外少数と知って応戦し
激しい攻防が繰り返されたのだそうです。
日が暮れて両軍が兵を引きかけている時、
日が暮れて両軍が兵を引きかけている時、
沖の平家軍から年若い美女を乗せた
小舟が一艘漕ぎ寄せてきます。
紅地に金の日輪が描かれた扇を
紅地に金の日輪が描かれた扇を
竿の先にはさんで船べりに立て、
陸の源氏に向かって手招きする美女。
これを見た、義経は、
那須与一宗高に扇を射抜くよう命令じます。
与一は、馬を海に乗り入れたが、扇の的までは、
まだ40間余り(約70メートル)もあり、
しかも北風が激しく吹いて
扇の的は小舟と共に揺れています。
与一の弓から鏑矢を放たれると、
矢はうなりを立てて飛び放たれ
見事に扇の要近くに命中。
扇は空へ舞い上がり、
ひらひらと海へ落ちたのだとそうです。
この様子を固唾を飲んで見守っていた源平両軍は、
どっと歓声を上げて与一を褒め讃えたとか...
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境内には「与一の手洗い所」。
手水舎にの手前には
手水舎にの手前には
『願いが的へ』と書かれた箱...
開けてみるとガチャガチャ???
お金を入れて回すとカプセル...
おみくじとともに、
扇形の紙石鹸が入っていました。
紙石鹸で手を洗って…
紙せっけんは手を洗うことが
“手を合わす”ことに通じるとして
授けられているそうなのだか。
おみくじは…
おみくじは…
「波のおと 嵐のおとも しずまりて
日かげ のどけき 大海の原」
今までの苦しみ煩いもいつか消えて
心楽しい時の遠からず来ます
唯御助けを祈って心平かな授けられた
自己の職務を熱心につくしなさい...と。
う〜〜ん深いなぁ〜〜。
末吉ではあるけれど...
ありがたいお告げに感謝して、
「願いが的へ」のシールで
封印しておきました。
ところで...近頃はどんなものでも
アニキャラになってるようですね。
『古の盟約を護りし忍の者』ってにも
那須与一さんが居てて