大阪あかれんが~水道記念館

大阪市の水道施設のなかで
現存で最も古く、
市水道のシンボル的存在、
水道記念館」。

フェンスにはこんな告知。

大阪の水道の必要性は、
1890年におこった新町の大火、
そして…1886年のコレラ大流行
水道記念館内にある
江戸時代の大坂の街角風景。
こちら「水屋」さん
江戸時代、井戸はあったものの、
飲み水にはあまり適さず、
主に淀川の水を飲んでいました。
毎日の水汲みは大変、
活躍したのが、
水屋という水売り業者でした。
水屋は水船を出して、
大川から汲んできた
水を街中で売り歩き。
水を求める軒先には、
水入用」の木札を
ぶら下げられたとか。

大阪の水道を計画したのは
イギリス人 土木技術者
ヘンリー・スペンサー・パーマー
横浜の野毛山公園には、
彼の胸像があるそうです。

もともとは水道料金は
一人あたりの年間料金、
あまりに便利すぎて…
メータの取付となったそうです。
タダやったら大阪の人は、
限りなかったんですね。

1914年3月、
東洋一と称された
柴島浄水場が誕生、
「送水ポンプ場」として
建てられたものです。
送水喞筒場」と綴られる。
喞筒ポンプと読むそうで、
「そくとう」「しょくとう」とも。
装飾には草木が見て取れます。
明治・大正期の名建築家である
宗 兵蔵(そう へいぞう)の設計、
1914年(大正3年)の建築。

大阪のメリヤス会館も彼の設計。

ライオン橋として親しまれる
難波橋の設計も宗氏によるもの。


屋根にはドーマー窓
深みをます赤レンガ、
そして御影石の調和が美しい。

1995年10月に鉄骨による
構造補強や内外装の
改修が行われました。

地下機械ピットの再利用を含めた
回遊型展示空間が
構成されていたのですが…
そう…当時の大阪市長の方針
閉鎖され休館に追い込まれたのです。
淀川のワンドに生きる生き物たち
天然記念物で絶滅危惧種指定の
展示した
淡水魚水族館がありました。
淡水魚飼育研究棟も閉鎖、
飼育研究と繁殖事業も中止に。

廃止にともなって、
学校や役所に譲渡されたものの、
天然記念物の移動は
文化庁長官の許可が
必要ということで…
管理が行き届かなくなって、
寂しい結末があったようです。
こちら一日必要な一人分の水道量、
なんと240リットルとか。


ぴゅあら」水の妖精とか
こちら「じゃぐ爺
蛇口の形をした水の博士さん。


「旧柴島浄水場送水ポンプ場」
→水道記念館
竣工年:1914年(大正3年)
設計 :宗 兵蔵
構造 :煉瓦造(鉄筋コンクリート、鉄骨造)
所在地:大阪市東淀川区柴島
【国・登録有形文化財】

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