大阪のはしばし vol.6 大手橋
古くは思案橋と呼ばれていたそ。
大阪城の大手門に通じる
大手通にあたるが、
なぜか橋の西側で
行き止りになっている。
橋を渡って左右どちらに行くか
迷うために思案橋と
呼ばれるようになったとされる。
また、豊臣秀吉が五奉行の一人、
増田長盛に橋の名前を
付けるよう命じたが、
思案してもなかなか
決められなかったため思案橋と
いわれるようになったともいう。
ただ豊臣時代からこの橋が
あったとする確証はない。
…「大手橋」の袂にある碑には、
こう書かれています。
かつて木橋であったそうですが、
1926年(大正15)に三径間の
鉄筋コンクリートのアーチ橋に。
1990年の改修工事ではアーチや
床版のコンクリートが補強され、
照明灯は戦前の姿を取り戻しました。
東横堀川の橋はアーチが多い、
鋼とコンクリート製が
ほぼ交互に並んでいるのは、
偶然では無いように思われ、
デザインの凝り方に設計担当者の
意図を感ぜずにはいられません。
阪神高速に遮れれながらも、
東横堀川に映えるアーチ橋は、
存在感を放っています。
欄干のデザインもなかなかです。
大手通という町名が付いたのは、
実は明治以降のことで、
大手橋と名付けられたのも、大正時代になってからなのです。
この東横堀川をはさんで東側が、
秀吉時代の区画整理された町並み、
西側は家康によるものだ
と言われています。
秀吉時代の東側を「上町」、
それ以降開発の西側は「船場」。
道が微妙にズレて、
東横堀川沿いのあっちこっちで
行き止まりの道が多い理由は、
そんな歴史にあるのです。
歴史に思いをめぐらす“橋掛り”、
思案橋の方がきっと、
味わい深いのかも知れません。
秀吉時代の区画整理された町並み、
西側は家康によるものだ
と言われています。
秀吉時代の東側を「上町」、
それ以降開発の西側は「船場」。
道が微妙にズレて、
東横堀川沿いのあっちこっちで
行き止まりの道が多い理由は、
そんな歴史にあるのです。
歴史に思いをめぐらす“橋掛り”、
思案橋の方がきっと、
味わい深いのかも知れません。
「大手橋」
橋長 :49.55m 幅員 :10.00m
形式 :アーチ橋
完成年:1926年(大正15)
河川名:東横堀川
橋長 :49.55m 幅員 :10.00m
形式 :アーチ橋
完成年:1926年(大正15)
河川名:東横堀川