大阪のはしばし vol.1 鉾流橋


中之島の中央公会堂から

北にかかる橋「鉾流橋」。
天神祭に行われる鉾流し神事
ちなむ名がつけられているので、
古くからの橋との
印象が持たれますが、
実はこの地に架橋されたのは、
1918年(大正7年)なのです。

1916年(大正5年)に
大阪控訴院が新築、
1919年に中央公会堂…
そして
1922年に大阪市庁舎が完成と、
中之島の近代化が進められて、
橋の需要が高まった時でした。
昭和初期はこんなふう…
戦争中の金属供出などで、
高欄、照明灯は失われたそうです。

1980年になって高欄や照明灯、
レンガ敷きの歩道などが
整備されました。

親柱など日本調のクラシックな
デザインが採用されたのは、
天神祭の船渡御が行われることを
考えてのことでしょう。

灯籠と鳥居には「乾物商」の文字、
江戸時代の天満界隈は、
この業を成合いとする商人が
集まる場所だったようです。





この辺りは昔
社頭(しゃとう)の浜」と
呼ばれたそうでして、
天神祭の古い形では
ここから神鉾を流し、
流れ着いた場所に御旅所を設けて
天神様を迎えたそうです。

ただ…神様がどこに行かれるか、

流した鉾まかせ。
行き着く先が御旅所となるので、
下流の住民は大変だったようです。

船渡御」は幕末の政変や
二度の世界大戦で中断、
1949年に復活したものです。
復活の神事は7月24日の
天神祭宵宮の朝に、
小舟に乗った神童が
川面に鉾を流すのみなのです。

鉾といえば…
ユネスコの世界遺産 
無形文化遺産に
山・鉾・屋台行事」の
登録が決まりましたね。

なぜ「鉾流し」なのかのワケ。
青銅器の武器は、
それまでの石や木製と違って、
圧倒的な威力を発揮しました。

人の及ばない強力な力をもつ
青銅器の武器には、
神が宿る力をみたのでしょうね。

欄干のデザイン…
かなりモダンです。



中央公会堂の階段の手すりの
デザインをが反映されています。



「鉾流橋」

橋長:98.04m 幅員:12.50m
形式:桁橋(ゲルバー桁)
完成:1929年(昭和4年)
河川名:堂島川

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