ならぶら 西大寺

ならをぶらりとならぶら
中学の時以来の「西大寺」へ。

孝謙天皇の発願により建立、
天平」という
不穏な時代を治める
女帝の願いにより、
鎮護国家と平和祈願のお寺。
“平”がつく年号は
なにかと難しいことが…
多いように思えますね。

称徳天皇発願の銅造四天王像が
祀られた四王堂は、
創建由緒を伝える唯一のお堂。
今あるのは江戸初期の再建です。
重層建築の現堂。
本尊は十一面観音立像。
1289(正応2)年に
京都より移されたのもので、
仏師 円信の作と伝わります。
西大寺は今は大きなお茶碗で戴く、
大茶盛」が有名ですが、
創建当時は東大寺に対する
西の大寺にふさわしい、
百十数宇の堂塔が並んだ
壮麗な官寺でした。

西大寺の中興の祖
といわれるのが「叡尊」、
真言律宗の根本道場として
復興しました。
戒律の復興に尽力するとともに、
貧しい人々の救済に力を
そそいだ名僧です。
叡尊80歳のときの肖像、
叡尊を慕う門弟の発願であり、
生身の仏の像として今に伝わります。
宝暦12年(1762)に京都の
近衛政所御殿を移建された、
宸殿造り仏堂におられました。
こちら秘仏「愛染明王坐像」。
寄棟造の本瓦葺で土壁を施さない
総板壁の「本堂」。
江戸期 宝暦2年(1752)の建立。


本尊は「釈迦如来像」、
堂内には知恵の仏さま
文殊菩薩」がおられます。
文殊が座る獅子を囲む
四侍者のひとり「善財童子
文殊を先導する役目を
担われています。





本堂の前には東塔跡
南大門から境内に入ると…



本堂前に東塔があったことが
よくわかります、
奈良時代には、
高さ46mほどの
東西両塔が建てられいたとか…
往時を今に伝えています。
もみぢば…

すでに牡丹が咲いていました。

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