大阪のはしばし vol.5 平野橋
東横堀川に架かる「平野橋」。
『当代記』という寛永年間の
歴史書には、関が原の戦いに
大坂城の防衛線のひとつとして
捉えられているので、
おそらく東横堀川開削からの歴史。
平野町の西端には御霊神社、
一説には早良親王が
祭神とも伝わります。
早良親王は、長岡京遷都を主導した
藤原種継の暗殺に関係したとされ、
廃位され悲惨な最期をとげた王。
親王は百済氏の出身で、
百済氏を祀っていたのが、
京都の平野神社だったそうです。
京都の平野神社だったそうです。
そのような所以で、
この界隈が平野と呼ばれるように
なったとされています。
『地方役手鑑』によると、
平野橋の橋長61.8m、幅員4.1m、
1898年(明治31)の架け替え時も
ほぼ同規模の橋との記録があります。
現在の平野橋は1935年の建造で、
逆ランガー桁とよばれる形式。
世界で初めての適用だとかで、
アーチ部材が細いのが特徴です。
欄干には扇の模様が
シンプルに描かれています。
いろいろ調べてみると、
建築家の武田五一さんが
デザイン担当として設計に、
加わっていたのだということ。
洗練されたデザインは、
ドイツの橋梁専門誌に
取り上げられたということ。