その手は桑名の焼き蛤④ 伊勢国一の鳥居
歌川国芳 画
1770年(明和7)に大坂で上演された
『桑名屋徳蔵物語』のサワリが見て取れる。
桑名屋徳蔵の海上で大入道と交わす問答、
讃岐高丸家のお家騒動が絡んでいる。
マンホールには「七里の渡」
熱田・宮の渡しから海上七里を船に乗り、
桑名の渡しに着いたことからこの名がある。
東海道の42番目の宿場町として大賑わい。
これより伊勢路に入ることから
「伊勢国一の鳥居」と称され、
伊勢神宮の遷宮ごとに建て替え
られているそうです。
天明年間(1781〜1789年)。
桑名の商人の矢田甚右衛門と
大塚与六郎が発起人となり、
関東地方を廻まわって集めた
寄付によって建立されたのが始まりです。
そうそう… 電動アシスト付き自転車 を
「六華苑」にほど近い
住吉浦休憩施設を貸していただいたので、
らくらくの観光地めぐりでした。
鳥居はもともとは、東海道を跨ぐように、
建っていたのだとと伝わっているそうです。
かつては東海道を行き交う人々が必ず目にした
桑名のシンボル「蟠龍櫓」(ばんりゅうやぐら)。
《保永堂版 東海道五拾参次之内 桑名》
歌川広重の浮世絵でも描かれた
桑名のランドマークなのです。
「蟠龍」とは、
「蟠龍」とは、
天に昇る前のうずくまった状態の龍のこと。
航海の守護神として、
「家康に過ぎたるものが二つあり、
唐の頭に本多平八」
関ヶ原の戦い後に
関ヶ原の戦い後に
桑名城主となった本多忠勝。
徳川四天王の一人に数えられた人物です。
桑名城本丸跡の「鎮国守国神社」には、
葵の御紋がみられました。
桑名城城壁は揖斐川に面するところから、
約500mほどがいまに残されています。
今は小型船の停泊地になっていて、
所々に雁木のような出隅とよばれる通路が、
設けられていますが、
明治以後のものに付けられたものだとか…
かかる橋は「にほんばし」???
足をすすめると富士山も…
「歴史を語る公園」では
東海道中が楽しめます。
廻船の舟溜りの「住吉浦」には、
なにわの「住吉神社」勧請のお社。
神社前の石灯篭は、
江戸時代の材木商達が寄進したもの。
長良川河口堰が遠くに見ゆる。
おしまいに…
七里の渡跡の鳥居は
式年遷宮にあわせてって、
お話に戻ります。
伊勢神宮の内宮の鳥居が20年に
一度の式年遷宮ごと …
内宮の鳥居が運ばれてきて、
建て替えられるそうです。
内宮宇治橋の鳥居は、
さらに20年前の式年遷宮のもの。
由緒あるもので建て替えは、
平成27年5月31日に「お木曳き」、
そして6月7日には、
竣工祭予定されているそうですよ。