時代が求めた1970デザイン展② Yes SANYO


「日本のこころ
  -第三の自然による健康の家」
当時3歳だった虎次郎…
万博に行った記憶はほとんどないが、
うっすらと夢に出てくるのは、
肩車からみる「太陽の塔」。
吹き上がる水でビショビショになった広場、
そして…サンヨー館でもらった兜。

こんなに眩しかった銀色だったのか??
とっても大きくて家に長い間飾ってあったから、
実際にもらった体験そのものは、
のちのちの繰り事だったのかも知れない。

サンヨー館にたびたび訪れたことは、
間違いのないところだと母が言う。
というのも、
父と母の知人が三洋電機に就職されていて、
ここにはフリーパスで入れたとか…
鯉のぼりバッヂはいまなお宝物。

たしかこのリスの貯金箱も何個か、
サイドボードに飾ってあったように思う。
リスちゃんたちはホステスさんたちの、
ユニを身にまとっているスタイル。
ちなみに当時はコンパニオンとは
呼ばずに「ホステス」と言ったそうだ。
この「リス」には
ニックネームがなかったらしい。
でもデザインは手塚治虫さんだから、
きっと名付けられていたに違いない。
「合服と夏服は同じデザインで統一されている。
 合服は黄色のツーピース。
 ミニスカートがさわやかさを演出する。
 同じ黄色のジャケットを重ねる。
 アクセントに白色のラインを描き、
 美しくまとめられた。
 白色のベレー帽、白色の靴、
 白色のショルダーバック、白色の手袋がセット。
 スタンダップ(スタンド)・カラーが魅力的だ。
 夏服はミニのワンピース。」
(『日本万国博覧会パビリオン制服図鑑』
  大橋裕之 編著, 河出書房新社, 2010年)より
実はサンヨーの当時の
企業カラーは青色だったとか…
三洋電機勤めで派遣されていたようだが、
大部分は学生だったらしい。
こちらはボタン操作ひとつで
調理から食事までできたという
フラワーキッチン」。
そして、球形のカプセルの中に
休息と安眠のために必要な全自動機が
セットされたプライベートルーム。
その名も「健康カプセル」。
カプセルホテルとして実現をみたものである。
サンヨーとして思い出すのは、
Yes SANYO」というキャッチコピー。
秀逸なエネループという繰り返し電池の、
売り出しCMのバックミュージックには、
YESという1968年に結成された英国の
プログレッシヴ・ロックバンドの楽曲、
"Owner Of A Lonely Heart"が使われていた。
YES」つながりだったかどうかは謎だが…
シンプルだが一度聴いたら忘れられない、
時代を映すカッコよさがそこにはあった。

実はサンヨー電気は充電式の
ニッケルカドニウム電池を完成させていたとか。
この電池を搭載するスポーツカーレースを企画、
しかしスピードは50キロくらいまで…
企画はボツになったが、
充電式電池はバイクに搭載し
カドニカバイク」として万博内の
連絡用バイクとして活躍したんだとか。

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