年金コンピュータが動かない!

年金を支払ったのにデータが消えた??
 というニュースが引き続き流れるなか、
 その相談窓口がパンク状態になっているようである。


基礎年金番号の制度がスタートしたのは、
 1997年(平成9年)であるが
 この頃のコンピュータを取り巻く環境は、
 インターネットもメールも実用化夜明け前で、
 情報一元化には大規模処理コンピュータを設置うんぬん。。
 という時代であったように思う。

そもそも紙に書かれていたデータであった名前を
 電子化して行くということは、
 とても大変な作業である。


虎次郎の職場のように人の名前を毎日扱っていると、
 名前を パソコンの字にあてていくことは、
 とても根気のいる作業だし、異体字の問題なんかを考えると、
 1字の入力に膨大な時間を要することがある。

「こんな字見たことないや」ということもあるし、
「微妙に点が多いとか少ないとか・・・」
  日本人の苗字は実に多様な字を使うんで
  「書いた方が早いよ」ということもしばしば。

紙にしか記録されていない古い情報も含めて
整合性の取れた顧客データベースを構築することや、
長年にわたり異なるデータベースに
記録されてきた同 一人物の情報を識別して統合すること、
 いわゆる「名寄せ」という作業は、
 とんでもなく大変なもの。

金融機関など電子化をいち早く進めた企業でさえ頭の痛い作業を、
 国は公的年金に加入する国民すべてを対象に始 めていた。
その結果として、
約5000万件もの納付記録が個人を特定できず宙に浮く、
ことは「何も考えていなかった」
イケイケドンドンの特攻意識で、
なんとはなしに進んでいたのではないかと思えてくる。

単純な入力ミスや未入力など様々な手違いなんかも相まって、
信じられない件数の行方不明の年金を生んだんだとしたら、
タイミングとしては最悪な時期にシステム化した情報一元化
轍を踏んだことになる。

情報を一つに集める便利さの裏に、
 一つにすることによる「危険性は誰かが守るやろう??」という、
 け身な姿勢を生むことなのかも知れない。

  久しぶりの辛口コメントなり(・ω・)v


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