東福寺塔頭 南明院と正覚庵


東福寺塔頭の中で最南端にある
南明院まで足を延ばすと、
一段と静けさが増します。

門前には徳川家康公正室旭姫墓とある…
Facebookにあっぷしたら、
そのことよりも葵の御紋の陣幕前
美女の後ろ姿にイイねが連発でした。

《都林泉名勝図会》「南明院」より

初めて一般公開された南明院は、
室町幕府4代将軍の足利義持
創建したとされる古刹だったそうで、
境内から西へ京都市街をみおろす位置、
かつては五山の送り火も一望できた
とされる高台にありました。

豊臣秀吉の妹 旭姫の五輪塔の墓所
既婚だったのですが秀吉に離縁させられ、
44歳で徳川家康に再嫁した。
母の大政所を見舞うため
駿府城から京都に戻り、
そのまま死去したという。
わずか4年の短い夫婦生活でしたが、
家康、秀忠らは上洛のたびに墓参に
訪れたと伝わります。

旭姫の法名は
南明院殿光室宗王大禅尼」。
死後まもなく描かれた肖像画。
今回その面影をしのぶ特別公開。

1917年に火災に遭い、
戦後再建を重ねてきたという。
2019年に完成したという
蒼穹庭も特別公開でしたが、
お庭も撮影はさせてもらえませんでした。

方丈に祀られていたご本尊、
徳川家歴代の御位牌
安置されていました。
いずれも内部写真は、
京都新聞記事よりの転載です。

本能寺の変、そして山崎の戦い
天下人として名乗りを上げた秀吉。
小牧長久手の戦いでの家康を
自軍に引き入れるため、
佐治日向守と離別させた上で、
自らの妹を嫁がせたのです。
家康は45歳、旭姫は44歳とか…
婚儀が済んでも上洛しなかった家康、
秀吉は母・大政所を岡崎の旭姫を
訪ねるという形で人質として送り、

ここに至ってようやく家康は
上洛して大坂城にて秀吉に謁見、
諸大名の前で豊臣に臣従
することを表明したと…。

室町時代に活躍した東福寺の画僧、
吉山明兆の自画像の模本など、
みどころの多い特別公開でした。
南明院2世・吉山明兆は、
禅僧として高位を望まれたものの
画を好んだことからこれを拒絶…
如拙周文相国寺派に対峙、
室町後期の雪舟は影響を与えた人。



もうひとつの塔頭特別公開は、
東福寺の六波羅門前の正覚庵
鎌倉後期の東福寺5世 山叟恵雲の開山、
伊達政宗の祖にあたる伊達政依※の創建、
奥州伊達家ゆかりの寺院だとか…

江戸後期から昭和初期に築かれた
大小複数の筆塚があることで、
筆の寺」として親しまれる庵。
毎年11月23日には筆供養が行われ、
多くの参拝客が訪れるとか…
こちらも境内撮影NGでした。


伊達政依はこんな人…
奥州合戦で手柄を立て、
源頼朝から伊達領を与えられた伊達家。
伊達家の四代政依は仏道に非常に熱心な人物で、
京鎌倉の五山制度に倣い、次々と寺を建立した。

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