伊東忠太さんの本願寺伝道院を知る


西本願寺の門前町に一筋東に進むと、
イスラム風な赤レンガが聳えています。
でもドーム屋根を頂く八角堂を持つ
外観にもかからずに、
なぜか街並みにひっそりと馴染んで…

本願寺伝導院の10時からのネット予約をして、
内部を初めて見せていただくことに…

東京の築地本願寺と同じ設計者、
東京帝国大学教授の伊東忠太が設計。
空想上の怪獣たちは象のようであったり…

龍のようでもあり

大きな嘴を持つ鳥の

翼をもつ獅子のようでもあり…

門前で育った仏具店の方いわく、
昔はこの通りでよく遊んでいました。
 怪獣の絵を描いたり、
 玄関の階段でみんなで"グリコ"をしたり、
 文化財になるような建物とも知らずに。
 楽しかったです。
」と。

西本願寺の御影堂前からも、
五本の筋塀 越しにドームを望む。
ちなみに筋塀には三本、四本、
五本の種があり、五本が最高とされます。

総門からドームを臨む。

内部一般初公開 カメラはNGでしたので、
内部写真はパンフレットから転載。
玄関は八角形の床面に、
タイルがモザイク状に彩られています。

主階段と東に伸びる廊下で、
各部屋につながるホール。
元々は浄土真宗の信徒保険会社
として建設され、その後、銀行、事務所、
研究所、診療所と時代ともに用途を変え、
現在は西本願寺関連の研究所として
利用されています。

19世紀末から20世紀初頭に
ヨーロッパで流行した
アール・ヌーヴォー
セセッションの照明器具

彫刻などなど…重厚な雰囲気を
創り出していました。

当時の図面によると館内の各部屋は、
会議室、応接室、役員室などとして
使用させていたことがわかっています。
現在は「布教使課程」などの研修施設として、
部屋には「智慧」「歓喜」「清浄」など
仏教にちなんだ名前が付けられています。

こちら撞木を撞いて講義の始まりを
知らせる雲板が吊られています。

公開は二階まででしたが、
西側と東側の塔屋に上がることが
できるそうです。

こちらの正面ドーム

床は真紅の絨毯が敷かれm
シャンデリアが吊られた
ドーム状の天井には本願寺の紋
下り藤」が等間隔に
箔押しされているとか。

もう一つの塔屋は東面に…
六角形でトランプのクローバー
ような形の窓を付けています。

内部はこんな感じだとか。

建設当初は本館のほかに附属屋や倉庫、
人力車置き場、便所、
屋根付き伝い廊下もあったそうです。
1957年に北東側からの撮影のもの、
円錐形の屋根は現在なく、
1972年に取り壊された附属屋、

現在は鉄筋コンクリート四階建ての
学林寮」が建てられ、
伝導院で学ぶ僧侶が寝食を共にして
研鑽に務めておられるのだそうです。

西洋建築を連想させる窓付近のデザイン、
その上部に見られるのは、
破風」を石組みで表現しています。

その上部には破風にしばしば見られる
懸魚」までとりつけられています。

洋の東西を組み合わせているからこそ、
この地に違和感なく立ち続けたのやも。

1910年に建築学会で辰野金吾 議長として、
"我国将来の建築様式を如何にすべきや"、
という討論会があったそうです。
その議論のベースになったと言われるのが、
1908年に伊東忠太が講演した
"建築進化の原則より見たる我邦建築の前途"
というものが、「建築進化論」と称されるもの。

木造の伝統を進化して石材・鉄材で作る
という伊東忠太のの実験・実証の
ひとつがこの建築なのだそうです。

外観や内装にみられる多様なモチーフを
取り入れたデザインも然ることながら、
木と鉄のハイブリッド梁
跳ね出し部のI型鋼梁の採用などなど、
当時としては技術的にも斬新で
意欲的試みであっのです。

伊東は「建築の原則」の第一番目に、
建築は材料(肉体)と意匠(精神)とより成る
を掲げていたそうです。

伊東は「建築進化論」を論じる前、
中国やインドの旅に続いて
1904年から1905年にかけて
欧米を回っていたそうです。

後年彼が言う
「自分は目のあたりに西洋に於て
既往の建築様式界が行き詰まって、
何等が新乾坤を拓かんとして居る
状況を見て、独り日本に於て遅れ馳せに
既往の様式に拘束されて糟粕を嘗めて
恬然たるのを非を感じた

さればとてゼツェッションの如き
海のものとも山のものともつかぬ
未成品の後塵を拝せんも口惜し、
如何にせばやと考えた結果
が、
自分の所謂進化論であった」※1と。

「文化財的価値の保全と
 有効活用の調和を図る」いう修復方針は、
煉瓦壁内部に鉄筋を貫通挿入し、
床内部に鉄骨水平部ブレースを組み込み、
外観を変えず耐震補強を行い、
内外装部材は原形を修復する形で保全。

サッシ周りの改修も、
既存鎧戸を固定し再利用し、
既存窓枠に新設サッシを隠す
意匠などの工夫を凝らしています。

既存シャンデリアを修復する一方で、
省エネを考慮しメリハリの効いた
省エネ対策が実現したのだそうです。

伊東忠太の「建築進化論」の
実験的建築である伝道院は、
デザイン的にも技術的にも
その時代の建築をリードしてきたもの…
100年というロングライフを生き延びた
伊東の主張は「日本趣味の建築」として、
合理主義や近代建築を標榜する
新興の建築家たちの反対のターゲットに…

ただ…戦前戦後の事情は少し変化します。
坂倉準三のパリ万国博覧会の日本館、
丹下健三広島平和記念資料館
香川県庁舎など…
新たな材料を使いながら日本らしさを
過去のものによって表現しようとする。
世界の近代建築が、
鉄やコンクリートの材料を使いながらも、
日本の木造建築が持っていた特徴に
近づいてくるというシーンをみせたのです。






※このブログは川道 麟太郎さん、僑寺 知子さんの
「伊東忠太の「建築進化論」について」を参考にしました。
 1999年11月 上 その由来     
 2002年4月   下 その意義と作用
  日本建築学会計画系論文集 所収

【秋の特別公開】本願寺 伝道院
 2021年11月19日(金)~12月5日(日)
 ※12/3(金)は休止 事前予約あり

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