東福寺塔頭をたずねる 光明院へ


京都非公開文化財特別公開
あまり期間のなかった東福寺塔頭、
光明院をたずねてきました。

開創は1391年(明徳2)で、
詳しい経緯は不明ではありますが、
金山明昶(きんざんみょうしょう)という
東福寺の第七十世住持であった人。
維新後の神仏分離令・廃仏毀釈により
いったん荒廃するも、
1911年に横幕滴泉の入寺により再興。
20年以上にわたる托鉢が続けられて
現在の本堂が建立なのだそうです。

一番の見どころは…
方丈前の庭園「波心の庭
1939年に重森三玲の作庭によるもの。
多数の石組みを配す池泉式枯山水庭園
東福寺の方丈庭園と同時期に設計で、
三玲の初期の名作の一つとされています。

名前の由来は
雲ハ嶺上ニ生ズルコトナク、
 月ハ波心(はしん)ニ落ツルコト有リ

という禅の言葉に由来しているとか。
短く言うと…
煩悩がなければ、仏心は波に映る」の意。

重森三玲(しげもりみれい)は、
岡山県に生まれ、
日本美術学校で日本画を学んだ後、
いけばなや茶道の研究を経て、
庭園については青年期より独学。
シュールレアリズム理論に傾倒し、
前衛生け花を提言…
全国の著名な庭園を実測調査し、
日本庭園史図鑑』を著した人。

本名は重森計夫といい「三玲」の名は、
19世紀のフランス画家
ジャン=フランソワ・ミレーにちなみ、
本人が改名したものなのです。
ちなみに子どもたちの名前、
完途(カント)、弘淹(コーエン)、
由郷(ユーゴー)、崙(バイロン)…
とか。

寺号にちなみ「光明」をテーマに作庭、
大海を表す白砂の3か所に配された
釈迦三尊、阿弥陀三尊、薬師三尊
3つの三尊石組から放射状に
放たれる光明のように斜線状に立石が
並んでいるのが特徴です。

サツキやツツジの刈り込みで雲紋を表現、
その雲の上には庭から見ると
東の空から月が昇る姿を楽しめるように、
茶亭 蘿月庵(らげつあん)が配されています。



今回の特別公開は書院の2階から
庭園を見下ろして楽しめるというもの、
書院内と上からの撮影は禁止でした…
普段は関係者のみが立ち入れるとか。



こちら境内の入口には、
波心の庭と同じく重森三玲
作庭の"雲嶺庭"…



円窓からのぞくとこんな感じ。

本堂には本尊である金造仏の
釈迦牟尼仏が安置されています。

戦場の護神として信仰された
摩利支尊天が祀られていました。

摩利支天仏教の天部の守護神で、
陽炎を神格化したものされています。
陽炎は実体が無いので、
捕らえられて傷つけられることも
無く害されることも無い。

そんなところから戦国武将の間で、
摩利支天信仰が広がったようです。

玄関の土間も秀逸な意匠。

玄関をあがると波の衝立に
一輪の白菊。



光を感じさせるお庭と障子が美しい。





春は桜やつつじ、夏は新緑、秋は紅葉、
冬は雪景色と四季折々に
様々な表情を見せることから
虹の苔寺」とも称されているそうです。

モノクロでも…



是好日

虎くん明日はがんばってくれよ。

光明指しますように…

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