豊川稲荷の大阪別院をたずねる
玉造筋を細工谷より南…
"豊川稲荷 大阪別院"の朱の看板、
曹洞宗 観音寺とある、
いつもの通り道なので
気になっていました。
朱塗りの鳥居が
玉造筋に面しています。
山門には豊川稲荷別院と
曹洞宗 観音寺とあります。
愛知県豊川市にある
曹洞宗の豊川閣妙厳寺の開祖
東海義易 禅師が、
1268年(文永4)に宋より帰朝、
稲穂を担い、手に宝珠を掲げ、
白狐にまたがって海上に至現…
それが豊川稲荷の霊神なのだとか。
境内には茶褐色の狐さま。
禅師はその神示に深く感動し、
みずから刻んで守護神として、
祀ったのが豊川枳尼真天という。
ユニークな面立ち
1898年 この辺りの地主であった
萩田利平ほか篤信家たちが、
この地を発展させようと、
三河国八名郡三上村字深田、
いまの愛知県豊川市より勧請、
稲荷堂を建立したのが始まりとか。
その後、妙厳寺住職を開山として、
正式な寺院として大阪別院を
発足したと伝わっています。
勧進当時は桃山桃林の中にあり、
住宅はほとんどなかったが、
今は境内に家屋がひしめく。
難波宮があったころ、
堂ケ芝寺とも百済寺とも言われる
古代寺院があった地とされます。
多くの古代瓦が発見されていて、
渡来人の百済王氏の氏寺であったとも。
本殿横に朱塗りの鳥居が続く…
こちらが奥の院とされ、
平八郎稲荷が祀られています。
平八郎は東海義易に仕えた狐で、
枳尼天の食事の世話をする稲荷だと
言われているそうです。
こちらには白狐さまがおられました。
荼枳尼天の起源である
インドのダーキニーは、
裸身で虚空を駆け、
人肉を食べる魔女とか…
本山の豊川稲荷にも通ずる
おどろおどろしさ…
ダーキニーによるものなのか。
南側にある標柱には、
「神戒修福有智慧」
戒をまもり福を修めれば、
禅定にある心により智慧を発する。
「善根深故福徳夛」とは、
善行が多ければ本願念仏によって、
極楽浄土に生まれることができる。
2代目住職までは、
豊川の妙厳寺から派遣された
院代がその職務に当たっていたとか…
こちらの方がわかりよい😁