京都十六社めぐり 御霊神社


神さまや祖先の霊の尊称を
御霊 (みたま)」、
もしくは怨念を持った霊のことを
御霊 (ごりょう)」と呼びます。

縄文時代の屈葬は、
体を折り曲げることで
魂が遺体から抜け出るのを
防ぐためが有力な説。
平安時代ごろからは、
怨霊を丁寧にお祀りすることで、
逆に恩恵をもたらしてくれる
神さまになるという
御霊信仰」が起こりました。

平安遷都にあたり桓武天皇
平安京の守り神として
早良親王の神霊を
お祀りされたのが神社のおこり。
御祭神である崇道天皇のこと。

その後 井上内親王、他戸親王、
藤原大夫人、橘大夫、文大夫
合祀されたのが863年(貞観5)。
さらに火雷神、吉備大臣
三社明神、和光明神が合祀、
13柱の神霊が祀られて、
現在に至っています。
ご利益のひとつが、
"こころしづめ"となる所以。

井上内親王は、
聖武天皇の第1皇女で
光仁天皇の皇后、
その息子にあたる
他戸(おさべ)親王
ただ…この母子たち、
天皇を呪詛したとして、
その地位を剥奪されます。
この時に代わりに皇太子
となったのが桓武天皇です。

平安遷都に際して、
怨霊に悩まされ続け…
天変地異が相次ぎました。
名誉を回復し神社にて
その魂を鎮めたりと。
母子が幽閉されたのが
いまの奈良県五條市
宮内庁が管轄する御陵として、
その陵墓は500mの距離に
葬られているのです。
五條市霊安寺町にも
"御霊神社" が鎮座していますが、
もとは廃寺となった霊安寺。
なんと五條市内に御霊神社は、
23もあるとか…驚きです。


ちなみに京都の御霊神社に
祀られている火雷神は、
菅原道真ともされますが…
井上内親王が五條へ流される
途中に産み落とした男児が、
母と兄の恨みを晴らすため、
雷神となったとの言い伝え。
天神として祀られていないので、
こちらの方のように思えます。
若宮火雷(ほのいかずち)神社が、
五條市には鎮座しているとか。

話が変わって…応仁の乱
京都の人は先の大戦を
第二次大戦をささずに、
応仁文明の乱のことを"大戦"
呼ぶことがありました。
その始まりとなったのが、
畠山政長が御霊の森に立てこもり、
畠山義就と一戦交えたのが
その発端とされています。
政長は神社拝殿に火をかけて
逃走したと伝わります。

井戸館の東に芭蕉の句碑、
「半日は 神を友にや 年忘れ」
元禄3年師走の忘年歌仙、
その折の挨拶吟。
古今和歌集』の
「誤って 仙家に入りて
 半日の客たり」
にもとる。
句意は…
こうした荘厳な神域で、
年忘れの句会を営む
今日の半日は、畏れながら、
神を友として
一年の無事を祝うようで、
まことに果報なことだ。

京都の夏祭りの多くは御霊会
祇園祭も御霊会のひとつ。
今年こそ神を友として、
平穏を祈りたいものです。

長宮三十社
多くの神のなかに
猿田彦命もおられるとか…

「御霊神社」
 京都市上京区上御霊前通烏丸東入
 上御霊竪町

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