百舌鳥古墳群をあるく⑨ いたすけ古墳


橋のかかる古墳
正確には朽ちた
コンクリートの橋が
残る珍しい古墳
いたすけ古墳」。

何のための橋?
目的は“古墳を壊すため”
1950年代にこの古墳を
宅地造成する計画があり、
墳丘の土砂を出すために
橋が架けられたのです。


2017年8月8日 読売新聞


「イタスケ古墳の
 地主さんは素封家で、
 古墳をこのままにしておいても
 地元は発展しない、
 宅地造成をして家が増えれば
 人も集まりに賑わう、
 といったお考えのようでした。
 この古墳を買収したD建設会社は、
 当時古墳の堀の水利権が有るために、
 “池をめぐらせた住宅地”という
 キャッチフレーズで新聞広告し
 売り出そうとしたようです。 」※1

1955年10月29日朝日新聞

堺市文化財の
シンボルマークは、
「いたすけ古墳」出土の
衝角付冑型 埴輪なのです。

いまは堺市立博物館
収蔵されていて実物を
見ることができますが…
実は…
ある中高生の兄弟が
保存運動中に盗掘。
図書館金庫に
保管されお蔵入り、
させられていたとか。

百舌鳥古墳群だけでも
かつて100基以上の
古墳がありました。
しかし…
急速に進んだ宅地化により、
半数以上が消失。

いたすけ古墳に橋が
架けられたのと同じ頃、
近くの大塚山古墳
その波に飲まれて、
姿を消しています。

「いたすけ古墳」の
ほど近くにある
善右ヱ門山古墳」。

百舌鳥川北岸に位置する方墳、
周囲に明確な周濠を設けず
いたすけ古墳の外堤と
接するように築造。
いたすけ古墳の付随する
古墳と考えられています。
しかるに…「いたすけ古墳」
陪塚に指定されています。

「いたすけ古墳」の話に…
「保存が望みだけど
 民間業者の営利活動を
 止めるのも理不尽で
 可哀想だしなぁ」…

専門家の意見が出された、
そんな時代でもありました。

古墳の保存活動にも
多大な尽力を尽くされた
三笠宮殿下のご発言。
「仁徳陵や履中陵など
 大きな古墳だけを
 残しておけばいい
 ということではなく、
 小さな古墳と含め
 百舌鳥古墳群全体を
 捉えていかなければならない」

宅地化の計画は消えましたが、
橋は残りました。
風雨にさらされ続け、
木は腐食し、橋桁は重さに
耐えきれずに崩落…
世界遺産登録にあわせ、
橋の残骸を完全撤去
避けられないことなのかも。

世界遺産登録に向けて、
後円部の竹などを伐採…
濠に生えた葦も除草。
ただ不可侵の古墳には、
樹木の勢いを止める
有効な手立てはありません。

濠には瞬く間に ひと夏で、
外来種 ホテイアオイらで
埋め尽くされます。
墳丘の樹木の多くは、
「ふん」などで鳥が
運んだものが育ったもの。

の姿は美しいと
言われますが、
あまりにも増えると、
ふんがいしてる」
場所があちこちに。
墳丘へ人を立入禁止にしても、
動物たちには有効ではありません。

この古墳には20年以上前から
タヌキの家族がすみ、
朽ちた橋に出没するそうです。
古墳の前に住む住人たち
「樹木の管理は必要だが
 タヌキが棲む
 周りの木は残して」
「古墳とタヌキが
 共存できるよう
 工夫してほしい」




「いたすけ古墳」
・前方後円墳
・墳丘長146m、後円部径90m、
 後円部高さ12.2m、
 前方部幅99m、前方部高さ11.4m
・5世紀前半
・堺市北区百舌鳥本町3丁
【世界文化遺産登録候補】

「善右ヱ門山古墳」
・方墳
・一片8m
・5世紀前半
・堺市北区百舌鳥本町3丁
【世界文化遺産登録候補】

※1 講演会「森浩一の考古学」講演録 2
「森浩一の考古学-遺跡保存をめぐる実践と理念-」
 宮川徏 著, 同志社大学歴史資料館館報第17号, 2014年

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