鹿児島群像 小松帯刀〜銅像をたどる
小松帯刀(こまつ たてわき)
「国父」島津久光の信頼の下、
海軍を充実させるなどの
強藩づくりを推進。
1864年(元治元)の
参予会議崩壊後、
京都における
薩摩藩の実質的な
最高責任者となりました。
同年に起きた禁門の変をはじめ、
深く関わっていった人。
明治維新による新政府成立後も、
参与や外国官副知事などの
要職に就いたのですが、
病のために若くして他界、
知名度や歴史的評価は、
これまで高かったとは
言えない面があります。
像が立つのは
県文化センターである
宝山ホール前、
実は西郷隆盛像と
向かい合っているのです。
宝山ホール前、
実は西郷隆盛像と
向かい合っているのです。
制作者は西俣敏弘さん、
県立図書館の中庭にある
ネヴァーランドのピーターパン
県立図書館の中庭にある
ネヴァーランドのピーターパン
という造形も西俣さんの手によるもの。
坂本龍馬などの面倒をみたり、
長州藩の依頼を受け小銃・汽船を、
薩摩藩の名義でグラバーから
購入することを斡旋したりした。
坂本龍馬の立ち合いのもと、
薩長同盟を成立させた功労者。