京の冬の旅2023+ 大徳寺 興臨院

室町期の建築様式の特徴を見せる
本堂や唐門を持つ大徳寺 興臨院

"冬の季節拝観"の看板が出され、
門内には残雪で雪だるま…
"京の冬の旅"の合間にこちらも。

足利時代後の柏原天皇の御世、
1520年代(大永年間)に
能登守護 畠山義総が創建、
興臨院殿伝翁徳胤大居士」、
法名より寺名とされました。
創建直後に本堂・唐門が焼失、
天文年中(1532-1555年)再建。

開祖は大徳寺86世 小渓紹怤和尚
小渓紹怤は大徳寺南派の祖、
東渓宗牧に参じたことから、
龍源門下 本派南派に属しています。

"興臨院の古門"表門は創建当時のもの。

唐門は創建直後に焼失、
天文年中(1532-1555)に再建。

唐破風、檜皮葺、波型の連子窓

客待の花頭窓など、
室町期の禅宗様式を伝えます。

残雪が残る…白砂に石組み、
理想の蓬莱世界を表す
方丈庭園もまた違った表情。

昭和の小堀遠州」と言われる
作庭家 中根金作が復元したもの。
築山庭作伝』中、畠山氏の
「越前大守書院庭園図」

参考にしているのだとか…

雪景色以外は絵葉書より…
中国の僧 寒山拾得が生活していた
天台山国清寺の石橋を模し、
大石・松は絵葉書が明らか。
中根金作は静岡県生まれ。
京都府園芸技師、
文化財保護課などで作庭。
大阪芸術大学学長なども務めた人。
足立美術館庭園大仙公園 日本庭園
城南宮 楽水苑退蔵院 余香苑
ボストン美術館天心園など、
国内外300近い庭園は彼の作庭。

方丈庭園より唐門の客待を臨む。

方丈の屋根は低く造られていて、
簡素な造りは民家住宅への
過渡期の特徴がみられるという。

"琴心塔"は琴奏者の供養塚…

書院の間」には、
日本最初という一間の床の間。
畳の床の間になっていて、
上下2本の框が設けられ、
下は少し奥まった"蹴り込み框"。

茶室「涵虚亭」は1928(昭和3)年、
壇越の山口玄洞によって建立。

中国北宋代の詩人であり政治家、
蘇東坡の詩から名づけられた。
(内容が豊かである)」
( 中身が無くむなしい)」
"かんきょ"と読む。
茶人"古田織部好み"とされ、
四帖台目に隅板を加える。
給仕口を入った所が板敷、
入ってすぐが床の間で洞床。
洞床(ほらどこ)とは、
床の前に袖壁が出ており、
中が洞のようにみえるから…



畠山家の上杉謙信攻略後は、
前田利家により改修が行われ、
前田家の菩提寺として再興。

こちら絵葉書の雪景色

絵葉書には紅葉もの4枚ありました…

この季節にも訪れたいものです。

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