京の冬の旅2023+ キネマと等持院


等持院
境内に立つマキノ省三像
1921(大正10)年に境内に
牧野教育映画製作所の撮影スタジオ、
等持院の門をくぐった左手の住宅街、
かつての撮影スタジオの跡なのです。

山門をくぐったあたりにスタジオ。
等持院は尊氏がたてた
足利氏の菩提寺ではあったが
明治から大正、大正から昭和へ
移るにつれて「朝敵の寺」へ、
糾弾の輿論は厳しくなった。
「息もつけぬ苦境であった」と、
作家 高野澄さんは綴っている。

マキノの功績
・我が国初の劇映画"本能寺合戦"を撮った
・大スター・尾上松之助の発見
人が消えるトリック映像
 忍術と結びつけたことなどなど


剣劇中心の勧善懲悪ものとは違い、
ストーリーを中心とした
人間味のある描写が取り入れられた。

マキノ映画ランキングの1位は
「昭和残侠伝 死んで貰います」
一年ぶりで東映に戻ったマキノ雅弘、
健さんの「残侠伝」シリーズ。
男の意地と女の意地、
叶わぬ恋の機微を絡ませた
1970年作品。

「弥太郎笠」1960年
中村錦之助の豪快な殺陣が
堪能できる娯楽時代劇。
舞台が江戸時代なのに
セリフは現代語を話すという。
踊る丘さとみ
女優がよく撮れてると評価高め。


「清水港の名物男 遠州森の石松」
石松の金比羅代参道中
笑いと哀愁が漂わせつつ、
娯楽映画としての秀逸ぶり。
オール物語連載の村上元三の
原作「次郎長三国志」から、
おしどり駕篭」の観世光太が
脚色したという。

「牧野の所にいけば、
 伝統にとらわれず新しいことが出来る」

様々な才能が牧野のところに
集まってきたそうで…

牧野家のお墓は等持院境内に…
省三を始め息子のマキノ雅弘など、
映画一家だった家族たちも一緒に。

紅葉のころ…


雪の"清漣亭"

初夏の風景 いずれも絵葉書より



こないだいったときの残雪



太秦もあるし…嵐電乗って
ふたたび訪れたいと思います。


※このブログは 京都市メディア支援センター
京都の映画文化と歴史 第7回 マキノ省三先生像
 を大いに参考にしました。

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