京もみぢ2022 蓮成院と聖応大師良忍


呂川に架かる羅漢橋を
渡った石垣上に蓮成院
来迎院の塔頭の一つになる。 

室町時代の応永年間(1394-1428)は、
"北ノ坊"と呼ばれたと伝わりますが、
江戸時代に現在地に移転し、
寺号を"蓮成院"に改めたとか…
1720年のことですが、6年後 焼失。
1926年にこの地に移転。

石段上には"薬師門"…
門は通りに面しておらず、
石段を上り左に折れる。

"客殿"は、玄関の右手になる。
江戸時代後期の昌仁法親王の仮御殿
当初は三千院内にあり近代以前に
移築されたともされ、
三千院に宸殿再建された1926年、
この時期にあたるのかも知れません。

NHK NEWS WEBより

菊池契月筆の障壁画「飛天図」、
川北霞峰の竹林を描いた襖絵、
木島櫻谷の屏風には水墨画の鹿
西山翠嶂などなど…
客殿を飾っておりました。

庭園名は"契心園"
池の形が"心"の字
客殿南に広がるが、
お庭もカメラNG (´;ω;`)

かつては池庭であったが、
水が流れされていませんでした。
石組は羅漢を表したとも…
羅漢が出現して迎えたとの、
良忍上人の故事に因んだとも。

(大念仏寺の寺宝HPより)

聖応大師良忍
尾張富田の生まれ、
13歳で叡山に上り、
天台の教相と観心を学び、
顕教及び密教にもすぐれた聖。

良忍上人はかねてより
聖徳太子尊崇が深く、
太子ゆかりの四天王寺に詣、

大原隠棲後 来迎院を建立し止住、
如来蔵を建て大乗三蔵を修得

良忍上人は法華経を読誦し、
大乗経典を書写、
さらに念佛六万返を唱え…
念佛三昧中に阿弥陀仏から
融通念佛の教え
授けられたのは46歳のとき、
そのように伝わります。

教えを以って布教され、
都はもとより畿内一円にへ、
河内平野に大念佛寺を総本山
融通念佛宗を開宗。

入滅は60歳のこと、
1132年(天承2年)2月1日
来迎院にて…

来迎院の裏手を山入ると

三重石塔

律川の上流にあるのが"音無の滝"、
良忍上人が滝に向かって
声明の修業をしていると、
滝の音と声明の声が和して、
ついには滝の音が
聞こえなくなった
という。

撮影 2022.11.19

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