日本人の嗜好をさぐる㉑ 朝顔


《朝顔》児島虎次郎 
 1920年

古くから親しまれてきたアサガオ、
原産地は日本ではなく、
そもそも原産地は
良く分かっていません。

《夏景色美人合》一部
 渓斎英泉

中国では「牽牛子」との名、
4世紀の『名医別録』にみられ、
古くから認知されていた植物。
朝顔の種子と牛が交換された
ことに由来していて、
非常に貴重で高値で
取引されていたことに由来します。

《四季の花園 朝顔》
 歌川広重
1850年ごろ

平安時代のころは朝に花が開く
花をまとめて「朝顔」と呼び、
多くの"アサガオ"が存在しました。
「朝顔は 朝露負ひて
 咲くといへど 夕影にこそ
 咲きまさりけり」

夕方まで咲いている
アサガオの存在を意味する
万葉集』の一首、
おそらく桔梗のことかと…

《諸鳥やすうりづくし》
 歌川国芳
 1842年頃

アサガオと朝に咲く花全般の
「朝顔」は明確に区別されたのは、
江戸時代に入ったころ。
イギリスの植物学者
ロバート・フォーチュンは、
幕末に江戸を訪問、
「世界一の園芸都市」
称賛したと伝わります。
江戸期には朝顔の空前の
ブームがたびたび起こりました。

『あさがほ叢』より 1817年

秀吉と千利休に伝わる
一輪の朝顔のエピソード。
利休屋敷のアサガオが
素晴らしく咲き誇るのを
聞き及んだ秀吉、
利休に見せて欲しいと…
庭で秀吉が見たのは、
花が刈りとられた光景。
茶室の床に一輪の朝顔、
秀吉と利休の一端を
想像させられる話です。

『三都一朝』1854年

品種改良が大きく進んで
観賞用植物となり、
図譜も多数出版されました。
八重咲きや細かく切れた花弁、
反り返ったりしたり、
本来の花型から様々に
変化したものが生まれました。

三都一朝』より

現代では「変化アサガオ」と
呼ばれるそうでして、
江戸、上方を問わず大いに流行、
超珍なのは高値取引されたとか。

《三十六花撰 東都入谷朝顔》
 歌川広重
1866年

1806年の文化3年 江戸の大火
そんな理由で下谷に
広大な空き地ができたのが
ブームの発端で…

《入谷朝顔市》 尾形月耕


その後、趣味だけでなく、
下級武士が内職として、
組屋敷の庭でのアサガオ栽培に
繋がりました。

《俤けんじ五十四帖 二十 朝顔》
 二代 歌川国貞
1864年

江戸期のころからアサガオは、
七夕まつりと結びつきます。
アサガオの花を「牽牛花」と
以前から呼んでいたので、
彦星と織姫星の逢瀬の縁起物、
花をアサガオ姫とも呼びました。
夏の風物詩として広く好まれ、
鉢植えのアサガオが
牛が牽く荷車で売り歩かれる…

《婦人と朝顔》
 藤島武二
1904年

藤島が37歳の筆に寄る油彩画。
所在無げな目…
咲き乱れる朝顔を背景に、
蒸し暑い夏の日の倦怠感が
みごとに伝わってくる一枚。
明治という時代の終わり頃は、
日清・日露戦争という日々、
一見どこにでもある
生活の一シーンでありながら、
アンニュイな雰囲気を
醸し出しています。

大原美術館のコレクションを
蒐集した児島虎次郎の《朝顔》は、
三連作となっています。

《対露宣戦御前会議習作》
 児島虎次郎


虎次郎は大正13年、
明治天皇の生涯をつづる
壁画の制作を依頼されます。
画題は「対露宣戦御前会議」。
ただ…準備に3年を費やすも、
壁画の完成を見ることは
ありませんでした。
大原孫三郎と語り合った
美術館開設を実現する前に…
昭和4年3月8日。享年47。

《朝顔》児島虎次郎
  1920年

2020年には新児島館
開館される予定です。
3枚の《朝顔》が描かれたのは、
大正という混沌とした時代。
その時に描かれたのを知ると、
オアシスを求めた虎次郎の
願いを感じることができます。

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