江戸のデリバリー③ 寿司折をお土産に
《縞揃女弁慶》安宅の松
歌川国芳 1844年
お寿司とるけど?
竹梅どっち?
松がいい!!
松がいい!!
「あたけ 松のすし」と
書かれる木箱を持つ。
『甲子夜話』巻十八によると、
松鮨とは天保頃流行した
二重に盛られた寿司。
松とは販売者の名前ですが、
大変高価であったと伝わります。
『偲ぶ与兵衛の鮓』の絵
江戸時代の終わりごろ、
人気を二分するすし屋が。
「与兵衛すし」と「松のすし」。
「握りずし」を考案したのは
『華屋与兵衛』とも伝わります。
《すしや娘おさと
実はよしつね娘ひな鳥
尾上三朝》歌川国安
当時の握りずしは大きく、
今は一口で食べられますが、
口にほうばるぐらいの
大きさだったとか…
《本家本元の信太巻わ
これでござい おいなりさま》
ちなみに虎次郎の大好物
“おいなりさん”は、
油揚げは、
稲荷神の神使・狐さまの好物。
実は好物はネズミだけど、
殺生はタブーとされるため、
代わりに大豆でできた油揚げを
供えるようになったとか…
最後に虎次郎贔屓の
書かれる木箱を持つ。
『甲子夜話』巻十八によると、
松鮨とは天保頃流行した
二重に盛られた寿司。
松とは販売者の名前ですが、
大変高価であったと伝わります。
《団扇絵 鮨》歌川広重
室町期の『蜷川親元日記』に
「生成(ナマナレ)」という
「寿司」が登場しますが、
漬け込む期間を短くし
魚の発酵を浅く止め、
それまでは飯は
除かれていたのを
一緒にたべたスシ。
「新版御府内流行名物案内双六」より
魚を自然発酵させずに
飯に酢を混ぜしたのが、
「早すし」が誕生したとか…
江戸に上方の「押し鮨」が
17世紀の末頃伝えられました。
近世風俗書『守貞謾稿』
「江戸ハ酢店甚ダ多ク毎町
三戶蕎⻨屋三町ニー戶アリ」
とあり急速に江戸の町に広がった。
《東都名所
室町期の『蜷川親元日記』に
「生成(ナマナレ)」という
「寿司」が登場しますが、
漬け込む期間を短くし
魚の発酵を浅く止め、
それまでは飯は
除かれていたのを
一緒にたべたスシ。
「新版御府内流行名物案内双六」より
魚を自然発酵させずに
飯に酢を混ぜしたのが、
「早すし」が誕生したとか…
江戸に上方の「押し鮨」が
17世紀の末頃伝えられました。
近世風俗書『守貞謾稿』
「江戸ハ酢店甚ダ多ク毎町
三戶蕎⻨屋三町ニー戶アリ」
とあり急速に江戸の町に広がった。
《東都名所
高輪二十六夜待遊興之図》より
歌川広重 1841年ごろ
享保期(1716-35)に初めて
吉原遊郭内に台の物と呼ばれる
料理の仕出し屋が登場。
大いに繁盛したそうです。
《見立源氏花乃宴 寿司》
三代 歌川豊国 1830-43ころ
長編合巻『偐紫田舎源氏』の
一場面を抽いた錦絵。
桜が咲き乱れる遊郭で、
花魁が寄り添い酒を注ぐ。
桶の中には握りずし…
まさに濃厚接触( TДT)
歌川広重 1841年ごろ
享保期(1716-35)に初めて
吉原遊郭内に台の物と呼ばれる
料理の仕出し屋が登場。
大いに繁盛したそうです。
《見立源氏花乃宴 寿司》
三代 歌川豊国 1830-43ころ
長編合巻『偐紫田舎源氏』の
一場面を抽いた錦絵。
桜が咲き乱れる遊郭で、
花魁が寄り添い酒を注ぐ。
桶の中には握りずし…
まさに濃厚接触( TДT)
『偲ぶ与兵衛の鮓』の絵
江戸時代の終わりごろ、
人気を二分するすし屋が。
「与兵衛すし」と「松のすし」。
「握りずし」を考案したのは
『華屋与兵衛』とも伝わります。
《すしや娘おさと
実はよしつね娘ひな鳥
尾上三朝》歌川国安
当時の握りずしは大きく、
今は一口で食べられますが、
口にほうばるぐらいの
大きさだったとか…
《本家本元の信太巻わ
これでござい おいなりさま》
ちなみに虎次郎の大好物
“おいなりさん”は、
油揚げは、
稲荷神の神使・狐さまの好物。
実は好物はネズミだけど、
殺生はタブーとされるため、
代わりに大豆でできた油揚げを
供えるようになったとか…
最後に虎次郎贔屓の
浪花奴寿司🍣天五店さんの
おまかせを…
おまかせを…