堺の街並みを往く〜菅公さんのお船待ち
阪堺線 船尾から北へ、
「御陵前」のちかくのところに、
堺湊の天神さん
「船待神社」がおわします。
もとは和泉国大鳥郡塩穴郡にあり、
塩穴天神社と言われていたそうで、
菅原氏の祖神である
天穂日命(あめのほひのみこと)を
祀っておられました。
「菅公腰掛石」
菅原道真が大宰府に赴く途中、
道明寺にいる伯母 覚寿尼に別れを告げ、
船を待つ間にここに参拝し、
松の木を植え出発したことに由縁します。
境内にある「瘡神大明神」の碑石。
そもそもこの場所に鎮座していたのは、
「瘡神社」であったのだそうです。
「瘡(もがさ)」という病気は、
天然痘として知られる疱瘡のことと思われ、
江戸末期に日本でも流行して恐れられました。
境内社として祀られる「瘡神社」。
あの四谷怪談のお岩さん、
幼い頃にこの病気に罹ったため、
顔にひどいあばたが 残ってしまったとも。
致死率が高いことはもちろん、
後遺症についても危ぶまれていたこと、
怪談話として伝えていたのだと思います。
水掛不動さん
これら不動明王がおわすのは、
当時の人々により悪縁を断とうと、
ひたすらに願う姿があったことを
今に伝えているように映りました。
境内社のお稲荷さん「豊倉稲荷大明神」。
江戸時代に流行した
笠森稲荷信仰の流れを組むもののようで、
瘡(かさ)を病んだ遊女や怖れる遊女たちが、
瘡守(かさもり)にかけて笠森稲荷を信仰とか。
ここでいう瘡とは梅瘡=梅毒のこと。
堺は港町であり商人の町でありましたので、
その宿命として遊郭もありました。
瘡神社であるこの地にこれらの患者たちが、
列をなしていたのかも知れませんね。