堺の街並みを往く〜南海浜寺公園駅
南海電車本線の浜寺公園駅の駅舎。
1970年(明治40)に
日本の近代建築の元勲ともいわれた、
辰野金吾と片岡安の設計による
貴重な洋風木造駅舎。
虎次郎の職場の沿線は南海。
でも幼少から大学まで京阪沿線だから、
ほんと…南海沿線はよく知らないのです。
1998年9月にお隣の諏訪ノ森駅とともに、
大手私鉄で初めて国の登録文化財に指定。
そして第1回「近畿の駅百選」でもあります。
木造、平屋建てのハーフティンバー様式。
柱・梁・斜材をそのまま外部に露出させて、
その間の壁体を石材・土壁や煉瓦で充填。
1450~1650年頃に、
英国で盛んに用いられた方式です。
1970年(明治40)に
日本の近代建築の元勲ともいわれた、
辰野金吾と片岡安の設計による
貴重な洋風木造駅舎。
虎次郎の職場の沿線は南海。
でも幼少から大学まで京阪沿線だから、
ほんと…南海沿線はよく知らないのです。
1998年9月にお隣の諏訪ノ森駅とともに、
大手私鉄で初めて国の登録文化財に指定。
そして第1回「近畿の駅百選」でもあります。
木造、平屋建てのハーフティンバー様式。
柱・梁・斜材をそのまま外部に露出させて、
その間の壁体を石材・土壁や煉瓦で充填。
1450~1650年頃に、
英国で盛んに用いられた方式です。
現位置、現役で現存する最古級。
そんなキャラクターをもつ駅舎は、
全国的にも非常に希少性は高く、
明治時代から浜寺公園や海水浴場といった
マリンリゾート地の玄関口として、
また高級住宅地の玄関口として、
浜寺地域の変遷と歴史を見守ってきました。
ファサードの車寄せの格天井、
小さな丸がアクセントに放射状に配置。
玄関の軒の柱は凝った造りになっていて、
アーチのように軒が支えらています。
鹿鳴館の二階ベランダ部分にも用いられた、
とも言われているのがこの玄関柱です。
壁面のはめ込まれの感じも秀逸です。
玄関を中心に左右対称な造りは、
左側は駅事務室となっていますが、
かつては1等2等客の待合室でした。
駅舎左横の屋根の下には、
白塗り木製改札口がいくつも…。
中央部分には自動改札機なので、
少し雰囲気を損なっているのですが、
行楽シーズンの臨時改札口として、
かつて使われていたものなのでしょう。
多くの子どもたちが満面の笑顔で、
浜寺公園へ駈け出した風景が想像できます。
実は南海本線の高架工事が計画されていて、
一時期は存続も危ぶまれたのですが、
駅舎前の再開発とともに運用継続されることに。