太陽の塔 3 記憶からの目覚め
万博のあとに遺るもの。
初めはエキスポタワーが
そのモニュメントになるはずだったと言います。
エキスポランドのなかにありましたが、
タワーも今はその姿を留めていません。
2003年3月に解体されています。
エキスポランドも
不幸な事故や、
折からのレジャー志向の
変化により、
閉園に追い込まれています。
空中展示の大屋根は今やライバルではなく、
古戦場のような佇まいをみせています。
虎次郎が「芸術」とやらを学び出した頃は、
岡本太郎さんと言えば芸術の世界では、
とても無視できない存在になりつつありました。
もともと永久展示なんてことが
求められていなかった「太陽の塔」は、
塔内のコンクリートに問題が生じて、
保存は難しいとの報告も出されました。
その中でも太郎さんは常に無頓着に。
そして太郎さんは晩年を「バカ」を装って、
時を過ごされていたように思います。
そこにはもう闘う相手がいなくなったかのように。
「人類は進歩なんかしていない。
なにが進歩だ。
縄文土器の凄さを見ろ。
ラスコーの壁画だって、
ツタンカーメンだって、
いまの人間にあんなもの作れるか。
"調和"と言うが、
みんなが少しずつ自分を殺して、
頭を下げあって、
こっちも六分、相手も六分どおり。
それで馴れあって調和なんて卑しい。
ガンガンとフェアーに相手とぶつかりあって、
闘って、そこに生まれるのが本当の調和なんだ。
まず闘わなければ調和は生まれない。
だから《太陽の塔》なんだ。
EXPO'70 =進歩と調和だという訳で、
テクノロジーを駆使し、
ピカピカチャカチャカ。
モダニズムが会場にあふれることは
目に見えている。
それに対して、
ガツーンとまったく反対のもの、
太古の昔から、
どんとそこに生えていたんじゃないかと
思わせるような、
そして周囲とまったく調和しない、
そういうものを突きつける必要があったんだ」
『岡本太郎に乾杯』岡本敏子 著, 新潮社
万博があったのが
1970年だから
来年は「太陽の塔」も
40歳になります。
場内にあった
「万博公園だより
Eco - Park」
をみると。。。
来年4月13日に
唯一残るパビリオン「鉄鋼館」が
「EXPO'70パビリオン」として生まれ変わるとか。
各パビリオンホステスのユニフォームとなる
ファッションショーも開催されるのだそうです。
日本のエネルギーが集結した
この万博記念公園が、
最近「日本でいちばん未来を夢見た場所」と
位置付けられ、
大阪芸術大学に学ぶ若者たちが
企画したプロジェクトが、
この夏に続いて明日12月20日から
「イルミナイト万博2009」ということで、
12月24日まで行なわれるそうです。
「日本人に今もし欠けているものが
あるとすれば、ベラボウさだ。
チャッカリや勤勉はもう十分なのだから、
ここらで底抜けなおおらかさ、
失敗したって面白いじゃないかというくらい、
スットン狂にぬけぬけした
魅力を発揮してみたい。
日本人の精神にも、
そういうベラボウなひろがりがあるんだ、
ということをまず自分に発見する。
今度の大阪万博が新しい日本人像を
ひらくチャンスになればうれしい。」
「祭りの魅力を」岡本太郎
(『朝日新聞』1967年8月5日)
岡本さんの思いは21世紀を生きるボクらに
繋がっていると思いますよ。
寒さが強くなっている大阪ですが、
ぜひにとも足を運びたいと思っています。
「イルミナイト万博2009
:winter:」 特設HP