太陽の塔にあう 2 広げる手
すべてを受け止めてやるぞ!
と言っているような
「太陽の塔」の広げる手。
あのフォルムをみると、
とてもおおらかな気持ちになる。
「人間は生きる瞬間、瞬間、
自分の進んでいく道を選ぶ。
そのとき、いつでも、まずいと判断するほう、
危険なほうに賭けることだ。
極端ないい方をすれば、己れを滅びに導く、
というより死に直面させるような方向、
黒い道を選ぶのだ。
逆説のようだが、しかし、これは信念であり、
私の生き方のスジである。」
岡本太郎さんは「太陽の塔」をぶち立てるときに、
こんなことを言っていたらしい。
太陽の塔をとりまく
基本構想はこうだったそうだ。
「三つの空間は、
人間の歴史の未来、現在、過去を表象する。
またこれを進歩、調和、根元と呼んでも良い。
その中央に、過去、現在、未来を貫いて
脈々と流れる人類の生命力、その流れ、
発展を象(かたど)る五本の塔を建てる。
それらはまた世界の五大州を意味し、
相互の均衡に平和と調和の精神を、
またおのおのは独自の生き方のまま誇らかな、
人間の尊厳を象徴してそそり立つ。
これらの全体が、一つの壮大な宇宙観である。
それは東洋の叡智の結晶である。
“マンダラ”にも通じる。」
「万国博のために」岡本太郎
(『ユリイカ』1999年10月号)より
虎次郎はまったく
覚えがないが、
万博当時は広げた手の先には
大屋根の中にピタリと
差し込まれていたそうで、
「太陽の塔」そのものが
地下と空中を結ぶ
シャフトの機能を
担っていたそうだ。
「太陽の塔」の内部のエスカレーターを
上ってきた観客は腕の中を通って大屋根に。
あの腕はあるべくしてあったのである。
万博協会はその時限りと思っていた。
ただ「太陽の塔」は千里丘陵に
ひとり残されていた。
その手は何かを欲しがるように・・・