「ヤナカアンキ」の虎
京都国立近代美術館に所蔵されている
「童子騎虎」という版画。
谷中 安規 さんの1939年の作品です。
来年は寅年ですね。。
谷中 安規 さんは、
自刻自摺による創作版画作家でもあり、
本の表紙や挿画なんかも手がける方だったそうです。
自刻自摺とは浮世絵のような分業ではなく、
図案や彫り・摺りなどほとんどの工程を
自分で行うやりかたのことをいいます。
装丁で親交のあった
内田 百閒 (うちだ ひゃっけん)さんからは
「風船画伯」と呼ばれていたそうです。
百閒さんは谷中安規さんを
こんな風に語られています。
「画伯の名前は曖昧で、谷中安規だか、
安中谷規だか間違う怖れがある。
私は混雑を避けるため、
秘かに風船画伯と呼んで敬ふ事にしてゐたら、
後にはご本人もその名を仮用せられる様である。
風船の繋留索が、しょっちゅう切れて、
どこかを浮動するのである」
繋留索 = けいりゅうさく
アンキさんは明治30年に江戸時代 庄屋を
務めていたほどの名家に生まれたのだそうです。
ただ、家庭の環境は複雑で、
6歳の時に母親を亡くし、
父親は女出入りの激しい人だったようで、
朝鮮で過ごした少年時代は
多感な時期を過ごしたようです。
孤独のなかから絵を描くという時間を
持つことになったようですが、
彼の描く女の人には幼くて亡くした
母への思いが見て取れるとも言われます。
「ドラゴンズ・ドリーム」
1939年頃(木版) 東京国立近代美術館 蔵
ヤナカの描く動物たちは、
みんな子どもに対して優しいものとして、
描かれています。
「竜の夢」
では困りますので
もう一度虎の絵を。
でも寝てるよな。。
ダメか。。。。
谷中 安規(たになか やすのり)
大正時代から昭和にかけて活動した版画家。
明治30(1897)年 奈良県桜井市生まれ。
内田百閒の本の装幀などを手掛ける。
彼のほか、与謝野晶子や堀口大學、川上澄生、
棟方志功などと親交があった。
1946(昭和21)年 栄養失調のため、
掘立小屋で死去。49才。