あずまくだりんvol.3 東京藝大潜入〜〜


上野の藝術の杜の知の拠点、
東京藝術大学…

実は高校の友人は内進せずに、
作曲科・作曲専攻に"進学"
虎次郎は文学部文化史
美術史を学びましたが、
まさに憧れの大学でした。

東博正面を左に折れると…

東京藝術大学音楽学部の前身、
東京音楽学校の校舎

「生きた文化財」として、
建物公開のほか、
演奏会や音楽資料の展示など…

屋根の正面のモニュメントには、
中央に雅楽の"楽太鼓"
左に西洋楽器の"ハープ"、右に"笙"
西洋の音楽を吸収し、
日本の伝統音楽も受け継ぎ、
新しい音楽を作っていこう
とする意志が溢れているのです。

訪れた日は閉館日でしたが…
2階の音楽ホールでは、
瀧廉太郎がピアノを弾き、
山田耕筰が歌曲を歌い、
三浦環が日本人による
初のオペラ公演をした舞台とか。

東京藝術大学 正木記念館

東京美術学校第5代校長 正木直彦先生の
長年にわたる功労を記念し建設。
近世和風様式の鉄筋コンクリート造
2階は正木校長の希望で、
日本美術を陳列するための
書院造の和室が設けられたとか…
いまは"藝大アートプラザ"と呼ぶ。

大学美術館の本館ができるまで、
芸術資料館のメイン・ギャラリー
として長く親しまれてきた"陳列館"。

キャンパスはまさに"藝術家殿堂"のよう…
高村光雲
 1852~1934年 彫刻家
 伝統的木彫を守り
 多くの弟子を育てた巨星

白浜 徴
 1865~1927年
 図画師範科初代教授、図画教育に尽力

日本美術研究の巨星といえば…
岡倉天心とフェノロサですが、
旧美校本館前の特等地に…

横山大観らが発起人となり,
天心崇拝の平櫛田中が原型。
当時美校建築教官であった
金澤庸治設計の六角堂に安置…
参拝者をいざなうかのよう。

そして アーネスト・ フェノロサ

岡田 三郎助
 1869~1939年
 洋画家 
 曾山幸彦、黒田清輝らに師事

このあたりで藝大生ぶってランチ

四万十栗豚のルーロー飯
"つぶらなカボス”を合わせてみた。

美校は草創期から
皇居前広場の楠木正成像
上野公園の西郷隆盛像など、
数多くの銅像を製作されました。
一方で、校内に功労者の銅像は、
加納夏雄の胸像が最初
とか。

加納 夏雄
 1833~1898年
 片切彫にすぐれた彫金家

岡倉天心銅像と同じく美校草創期の
制服・制帽を着用しています。


竹内 久-
 1857~1916年
 古代彫刻を研究模作し、
 木彫の彩色に秀でた彫刻家

川端 玉章
 1842~1913年
 四条派の画家

この2像は1944年に東京都から
金属供出命令が申し入れたのです。
フェノロサ全身像加えて…、
そんなものは存在しないのに、

ただ美校の銅像は難を逃れたと。

オーギュスト・ロダン原作の
"バルザック像"
は、
大正時代にフランス美術の紹介に
努めた親日家デルスニスから
寄贈されたもの。
名指しされることはなかった
ようですが…かなりの大きさ。

藤島 武二
 1867~1943年
 洋画家 
 山本芳翠、黒田清輝らに師事

安井 曽太郎
 1888~1955年
 洋画家、浅井忠に師事

寺崎 廣業
 1866~1919年
 日本画家
 天籟画塾で多くの弟子を育てた

銅像・記念碑の建設場所には
歴史的意味があって、
加納夏雄胸像は金工部門の教室のそば、
というように縁のある場所を選んで
建てられていたようですが、
校舎建築もあり移転されたとか。


ただ正木直彦像はこれら像とは、
ちょっと異彩を放っていて、
正木記念館の入口の軒下にあり、
天心銅像とは反対向き…
反対側のスペースは空席というのも、
不思議な感じを受けます。

東京美術学校開校は1887年のこと、
天才肌だった岡倉天心には
周囲の反発も大きく、
やがて学内で排斥運動が勃発…
天心は20人以上の教員を率いて
東京美術学校を退職し、
日本美術院の設立に至ります。

正木先生の校長就任は、
騒動があった3年後でした。

こちらが正木直彦像
「岡倉前校長は天才肌の人であつた。
(中略)岡倉君に云わせれば、
 美術などと云ふものは
 多数の凡庸は犠牲にしても、
 少数の天才が生かされればよい、

  ――と云ふのであつた。
(中略)幸ひ私は、
 絵画、彫刻、工芸のいずれにも
 同じ様に興味を持つている。
 だから、それらを平等に見、
 扱つて行こう、と考へた。

 また、教授先生にしても、
 総てが特技を持つた選ばれたる
 人々ばかりであるのだから、
 その人の教育法というものに
 対しては干渉をせぬことにしよう

 ――と考えたのであつた。」

藝大のキャパスを彷徨うと…
こんなアートが山積みに。

製作中のものなのか、
それとも未完成なのか?

正木先生が異例の長きにわたって
校長をつとめることになったのは、
美術界の派閥争いが複雑すぎて
あちらを立てればこちらが立たず


正木先生の等身大の陶像は、
正木先生の推薦で渡欧し、
フランス セーブルの国立陶磁製作所
焼き物を研究したという経歴の沼田一雅
日本における陶彫刻の父とか…

こちら校舎裏にあった
藝祭名物の巨大神輿とか…
クオリティーが半端ない。

※このブログは「藝大アートプラザ
 公式Webサイト 記事を参考にしました。

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