あずまくだりんvol.1 マティス展〜東京都美


ハマスタへの遠征 6/23の
金曜日から行ってきました
ナイターだけど早いフライトで、
羽田空港から いざ上野の ART へ。
この時期の土日はデーゲーム…、
月曜日は美術館・博物館は休館、
平日でないと時間指定も取れないので、
アートシーンをいくつか。
マティス展」を観てきました!


《豪奢、静寂、逸楽》1904年 

Henri Matisse アンリ・マティス
ポール・シニャックの招きで
ひと夏をサントロペで過ごしたあとに、
光に満ちた理想郷ともいうべき
風景を描いたとされる日本初公開
この直後の彼の筆触は荒々しく、
"フォーヴィスム"と呼ばれる
野獣派に変容したとされます。


《白とバラ色の頭部》1914年

第一次世界大戦中、
息子ふたりをはじめ徴兵へ。
状況に抵抗するかのように、
革新的な造形上の実験を
推し進めた時期。

長女マルグリットを描いた
30点ほどの肖像画の1点、
キュビスムの影響濃厚とか…

絵画に加えて、彫刻、素描、
版画、切り紙絵も手掛けたマティス

絵画のアイデアが素材との
接触のなかで模索していたとされ、
転換期には彫刻があらわれたとか…
重要なモデルであった
「アンリエット」の頭部のシリーズ、
そして20年にわたってモチーフである
「背中」についてもその造形が残ります。

《赤いキュロットのオダリスク》1921年

彼の重要な主題である「オダリスク」、
その最初を飾る作品は、
フランス人モデルをイスラム女性に扮装。
劇場のように飾り付ける設え、
裸婦を違和感なく配置した、
造形的な実験と言われています。

ちなみにオダリスクとは、
オスマン帝国の君主のハレムで
奉仕する女奴隷のことで、
トルコ語では「部屋」を意味する
オダリク(Odaliq)と呼ばれる。

《夢》1935年

アトリエでのアシスタント、
そして秘書・お気に入りのモデル
1954年に生涯を閉じる日まで、
その傍らにいた
リディア・デレクトルスカ
画面全体に安息する彼女の上半身…
《眠る女性》1942年
安心して眠っている女性って、
美しいですね〜〜

《座るバラ色の裸婦》1935–1936年

出口で答えたNHKアンケートで、
もらった一枚も"バラ色"のタイトル、
抽象化という造形的な実験の一品。

緑色の食器戸棚と静物》1928年

グールゴー男爵夫人の肖像》1924年

マチスのサインが紫色で、
絵に合わせてサインの色も変える…
マティスの色に対するコダワリやも。

石膏のある静物》1927年

マグノリアのある静物》1941年

何十枚もの習作や関連する
ドローイングが存在するこの静物画。
絵画が成立のプロセスを見せるために、
マティスはのちにこれらの作品を、
制作過程の写真も展示されていました。

赤の大きな室内》1948年

マティスの色彩ワークの凝縮大作。
絵画、テーブル、敷物など、
コントラストとその対比。
空間に緊張状態を生み出した、

とされています。

黄色と青の室内》1946年

緑色の大理石のテーブルと静物》1941年

立っているヌード》1947年

《白い象の悪夢》1947年
 版画シリーズ《ジャズ》より

馬、曲馬師、道化》1947年
 版画シリーズ《ジャズ》より

「ハサミで描く」切り紙絵は、
マティス長年の懸案の
色彩とドローイングの対立解消
絵画空間に人物フォルムを
いかに挿入するかという…
探求を続けたマティスの挑戦。
最晩年まで続いたのだとか。

オレンジのあるヌード》1953年

こちら最晩年の作品、
大型の切り紙絵は、
筆で描いたドローイングに、
色紙で作った3つのオレンジが
付け加えられているのです。
シンプルな配置を旋回する活気
南仏・ヴァンスのロザリオ礼拝堂の
再現展示などもありました…
マティスの造形的な大冒険、
やはり行ってヨカッタ(・ω・)v

会期は8月20日まで…
あっという間に終わってしまう!
お見逃しなく。



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