みやこの国宝への旅⑤ 花下遊楽図屏風


国宝指定日 1953.03.31
花下遊楽図屛風
かかゆうらくずびょうぶ 」と読む。
京博の「京の国宝」最終日に滑り込み…

狩野長信による六曲一双 屏風で、
左右で異なる花見の風景…
ただ右隻の中央部は喪失しています。

狩野長信は、狩野家の三代目
狩野松栄の第四子で、
安土城や大阪城の障壁画を手掛けた
狩野永徳の末弟にあたる人。
松栄の晩年に生まれたので、
甥の狩野光信より年下、
狩野家では最初に徳川幕府に仕え
御徒町狩野家」の祖となったとか。
二条城や東照宮の造営にも関わり、
法橋の位も授かっていたのだという。
78歳で亡くなるまで
狩野一門の長老として活躍しました。

コロナ禍でもあり
花の下でのどんちゃん騒ぎ>は、
隔世というより不覚醒の感あり
日本特有の桜鑑賞の流儀は、
400年から続いたもので、
いまよりも賑わいを感じさせます。

長信が生きた時代から推測して、
宴は秀吉の醍醐の花見やも。
八角堂の縁側に座った人々が
踊りを眺めているシーン。
お堂の縁の下には、
居眠りしながら待つ駕籠かきの姿…
縁側で、赤いきものを着て
扇を手にしている子どもが主人公とか。

腰に刀を差すのは男装の一団
慶長8年のちょうど桜が咲くころに、
出雲阿国の歌舞伎踊りの写しとも。
足裏を見せて踊る人物描写は、
まさにストップモーション
縁側の人もリズム刻んでいるよう…

残念なことに、右の屏風の中央部分は、
1923年に失われてしまいました。
そう関東大震災での被災なのです。
現在も刊行が継続されている
岡倉天心らを中心に1889年に、
創刊された日本と東洋古美術の
研究誌『國華』に掲載された図版。

明治時代にガラス乾板での撮影。
六曲の一隻ずつを撮影されていて、
大きさは25.3×30㎝の四つ切。
中央の2扇はその一部なので
サイズは小さく、
これまであまり研究資料として
活用されて来なかったようです。


最高技術を用いスキャニング、
デジタルデータ化されました。
文化財活用センター
松嶋雅人さん曰く…
「…ガラス乾板には光を
 反射する部分のあらゆるものが
 写しこまれています。
 撮影者さえ気づかないものさえ
 写っている。だから、
 今回の複製品制作では画像を
 原寸大に広げられました」と。

桜の木の下に座る貴婦人ら…
杯を手にした女性は
藤の花の打掛を羽織り、
隣で手を挙げている女性は
ツバキ柄の小袖をまとう。
背中を向けた侍女の衣装には
鹿の子絞りの柄がはっきりと。
貴婦人は秀吉の側室 淀殿
あるいは浅井三姉妹のいずれかとか。

「桜の花、枝や幹、地面、
 岩などは残されている画面の
 同一モチーフから判断して、
 色を載せています。
 貴婦人の横に座る少女の場合は
 左隣の扇に裾の色が出ていますから、
 これは全面展開できました。
 女性たちの肌の色も他と同じでいい。
 杯を持つ女性は部分的に模写があり、
 そこに『地赤』という文字が
 残されていたので、
 今回は試みとして赤を入れました。

 主人公なので、
 画面の中で一番明るい赤を
 見つけて入れています」と松嶋さん…

幔幕の外側には、
お料理を出す裏方さんの姿。
花見の様子を覗いて、
お重を運ぶタイミングを
はかっているのですね。
こっそりのぞき見ではありません。

桜の木の下に座る貴婦人らへ…

左隻の幔幕の外側でも、
配膳に追われる侍女たち。
宴を中心に一双の屏風に、
さまざまな時間軸があります。
東京国立博物館で毎年桜の時期に
博物館でお花見を」という
特別企画が企画展示されていました。
こちらは2020年7月1日・2日実施の
プロジェクションマッピングの一幕。
穏やかに鳥がさえずり、
そして緩やかに揺れる桜の枝。
春先のうららかな世界。
戦国時代の高貴な人と通ずる
花見への感情…
時空を超えての繋がり…来春こそは!


ぶんかつ共同研究プロジェクトは、
キャノン「綴プロジェクト」で
   紹介されています。

※このブログは文化財活用センターブログ
失われた花宴~
 を参考にしました。

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