みやこの国宝への旅④ 十二天画像


国宝指定日 1952.03.29
「十二天画像 水天」
「じゅうにてんがぞう
 すいてん」と読む。

暗い背景からほの白く
浮びでる水天像。
その姿は"水の精"のごとく優美で、
着衣の彩色も柔らかく華やか。
膝の部分には、周辺を明るくぼかす
"照暈"(てりぐま)に、
細く切った金箔からなる
截金(きりかね)文様が置かれます。

こちらが「火天
十二天は顔の表情によって、
柔和相忿怒(ふんぬ)相
老相に分かれるのですが、
火天は"老相"水天は"柔和相"で
顔の表情は異なるものの、
唇の合わせの描写や
"ぼやし"の手法は同一のよう…

後七日御修法・年中行事絵巻部分

そもそも十二天とは密教における
方位の神々であって、
四方四維の八方、
および上下二方の守護神
に、
日月の二神を加えた十二の神々。

十二天画像 梵天

密教では尊像の姿や
持物(じもつ)=持ち物などの図形が
重要視されていて、
蓮華座に座る梵天をのぞいて、
毛氈風の座具"氍毺座"(くゆざ)
に座られています。

五智如来坐像》京都・安祥寺所蔵
 京都国立博物館展示

如来や菩薩たちなど、
その多くは咲く蓮の花の上、
蓮華座の上に表現されています。
ただ座はそれだけに限らず。
蓮の花ではなく蓮の葉を台座とする
荷葉座(かしょうざ)、
ごつごつした岩の形を表わす岩座
岩座を意匠化したとされる角材を
組み合わせたような
瑟瑟座(しつしつざ)、
岩座の一種で海岸の波打ち際を
思わせる州浜座(すはまざ)、
雲座氍毺座(くゆざ)、

《梵天坐像》京都・東寺蔵

そして牛や馬、ガチョウなど
動物の上に坐す鳥獣座など…
さまざまです。

十二天画像の話に戻ります。
水天はヴァルナといい、
インドのヴェーダ神話に
登場する古い神格なのだそうで…

十二天画像 帝釈天

東西南北の西をあらわすのは、
須弥山の西に住んでいるとされるため。
ちなみに帝釈天(東)・焔魔天(南)・
毘沙門天(北)
として構成されます。

十二天画像 毘沙門天

四天王だと東・持国天、南・増長天、
西広目天、北・多聞天となり、
毘沙門天と多聞天は通じますが、
少し役どころが違うのです。

十二天画像 焔魔天

右手に仰掌、左手に人頭幢を捧げる。
柔和相のなかでも、
この焔摩天像は"慈悲相"と称されます。
口伝で伝えられた密教で、
閻魔が焔摩天と呼ばれるようになり、
十二天の1人となって護法善神に。
焔摩天は死の神としての性格と、
冥界の支配者としての
二つの性格をもっていた
ようです。

閻魔大王像》六波羅蜜寺蔵

冥界の支配者の役割は、
閻魔王として生前の行為を判断する
審判官となり形相が変化したとか…
閻魔王思想が中国にも伝わり、
道教思想と混交していき、
特異な発展をとげていったようです。
最初に冥界への道を発見し、
そのまま冥界の王になったとか。

十二天像 羅刹天

羅刹天(らせつてん)は
あまり馴染みがありません。
梵名をラクシャス
古代インド神話における鬼神。
人肉を食べる暴悪な鬼の総称…
破壊や破滅を司る神や鬼の主尊が
羅刹天とされています。
仏教に取り入れられてからは、
凶悪な煩悩を食い尽くす善神に。

ただ…羅刹天をググると、
ガンプラのRASE-TWO-TEN
ヒットするのです。
単独像で表されることも少なく、
単独としての信仰が
広がらなかった羅刹天
いま時空を超えて大活躍とか。

「頑強な構造と精強な出力は、
 モチーフとした鬼神、
 羅刹そのものの強さを備える。」
ただ劇中の大活躍とは裏腹に、
公式サイトに載っているにも関わらす、
唯一キット化が未発表だったとか。
ただ多くのファンがキット化を待望、
十二天画像に通じるのか(笑
操縦するのは戦闘狂のオーガ
フォース・百鬼のリーダーとか…

十二天画像にはそれぞれ左右に脇侍、
羅刹天の左脇侍
"羅刹女"といわれるもの。

右脇侍は眷属天女の一体とか?
脇侍の正体…
解明できていないものが多いとか、
その後 羅刹天がその後単体で
描かれることが多かった、
そんな事情によるのだそうです。


こちら火天左脇侍、火天眷属の
阿詣羅仙(あけいらせんにん)。

右脇侍は火天后(かてんこう)

胎蔵界曼荼羅》奈良国立博物館蔵

十二天脇侍の根拠は
両界曼荼羅のうち胎蔵界の周縁部、
"最外院"に配置された
おびただしい数の諸天。
十二天の中尊と両脇侍に
対応するのだという…

十二天像 日天

ただ…ペアリングできないものも、
日天右脇侍は、最外院の日天に
隣接する"日天后"に相当するが、
左脇侍の日天眷属は、
少し離れた位置に描かれています。

十二天画像 風天

最後に…
風を司る"風天"、
右手に風幢(ふうどう)を捧げ、
顔は老相にて表わされています。

まさに天衣は"風"を感じさせるのです。

風神雷神図屏風》のうち風神
 京都・建仁寺

江戸期になって描かれた
宗達が描いた風神
その形相を異にしますが、
風を司るフォルムは、
受け継がれているように思えます。

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