《春日権現験記絵》に居る "こどもたち"


《春日権現験記絵》巻一は
建築現場から始まる。

多くの大工たちのなかに混じって
七人のこどもが描かれているのです。

"水盛"の仕事を手伝っている子ども、
丁張(ちょうはり)とも、
"水盛遣り方"とも…
水盛=みずもり をもって
工事が"着工した"
として扱われます。
鉄筋コンクリート造の現代では、
さらに基礎の位置や高さをキメる
水盛は重要な作業で、
いまでも棟梁や設計者を含めた
自社大工で行うことを
会社の信条としていることが多いとか。

下から二番目の作業にも子どもの姿、
"墨入れ"で墨壺で線をいれる仕事。

道具箱の脇で2人が戯れていても、
職人たちは黙々と作業に勤しむ姿。
労働というよりもまさに"手伝い"、
見込みのある子どもには
墨壺や水盛などの仕事の補助を担わせ、
技術を伝承していたのでしょう。

三人は板切れや木屑を頭上に載せて、
片付けている様子が描かれています。

松崎天神縁起絵巻》より

現代の感覚では
"子どもが働かされていた"と映りますが、
その仕事のしっぷりは遊び半分
しばしば喧嘩しあうようなもの。





以上 《石山寺縁起絵巻》より

松崎天神縁起絵巻》より

木鼻や削りくずなどは子どもたちの
取り分となっていたようで、
労賃が支払われなくとも、
これらは良い燃料になり、
市のようなところに運べば売れて、
小遣いには十分だったようです。

《春日権現験記絵》巻十九第二段

牛の背に木炭を背負わせ
みずからも薪を天秤棒で
担っていく子どもの姿。
牛や馬の世話と、
そうした牛や馬に薪・稲・俵など
荷を負わせての運搬も、
子どもたちも担っていた
ようです。

《春日権現験記絵》巻十一第一段

こちらは子どもが蔀戸
はずそうとしている姿。
庭には童子姿の老人が箒を持って、
掃除をしていますが…
社寺には僧侶神官に付き従う"稚児"は、
扈従(こしょう)労働の担い手でした。
"扈"も「したがう・付き添う」の意。

《春日権現験記絵》巻四第五段

徳大寺 公守(きんもり)の一行が、
ちょうど春日若宮の社殿の前に
さしかかったところ。
一行には行列に従う「童」の姿。

《春日権現験記絵》巻十七第一段

鴨居に腰掛けた女人は、
春日大明神の化現(けげん)で
明恵上人が見上げています。
縁にいる僧侶三人、
そして老女と童は家の者。
縁の下にいるのは、
下女たちとその子ども。
家のなかでも子どもに身分差が、
しっかりしていたのです。


《春日権現験記絵》巻六第三段

ちょっとヤンチャな子どもの姿、
般若心経一巻をのみこんだを、
こどもたちがいじめています。

石を投げたり…棒で突いたり。

次のシーンでは、ガキ大将が急病に、
巫女と山伏を頼み神意をたずねます
手をひかれる幼少の子ども

《春日権現験記絵》巻四第二段

関白藤原忠実が出家の意思を固めて
春日社参詣に来たシーン。
すると十二歳ほどの童が、
にわかに気高くなるのです。
春日の第三神であると名のり、
託宣を伝えたとされます。

《春日権現験記絵》巻五第四段

ある人の夢のなかに、
背後に神人(じにん)を従えた
三歳の聖なる子ども
の棚引くなかを蓮台に乗って
飛んでいく姿が現れたシーン。

《春日権現験記絵》巻六第二段

平中納言親宗(ちかむね)の邸宅。
厩舎の魔除けのためにつながれている
を見ているのは親宗の子か。
貴族の子どもたちの姿。

《春日権現験記絵》巻五第二段

豪壮な貴族の邸宅のなか、
二人の子どもが腹這いになり、
巻物を開いて見ています

左上には盆栽、
そして大きな鳥屋(とや)がみえる
寝そべって物語か何かを
読んでいる子供は高貴な家の子か。
"はたらく子ども”の姿とは、
居場所が違うようですね。

※このブログは以下の書籍を参考にしました。
絵巻子どもの登場 中世社会のこども像
 黒田日出男 1989年 河出書房新社

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