神と仏の祈りの関係をたどる〜奈良博三昧


菩薩立像》石造
 クシャーン朝(3~4世紀)
「アフガニスタン東部とパキスタン北部に
 またがるガンダーラ地方の仏像。
 古代のギリシア・ローマ彫刻を
 思わせる顔立ちが特徴。
 髪を結ったインドの行者(バラモン)の
 姿をした弥勒菩薩と考えられる。


奈良博とガンダーラ仏とは、
その真贋論争が広がったこと、
1987年の奈良博のときの
新聞紙面に見覚えがある人は、
最近少なくなったかも知れない。
古代オリエント博物館、
美術商といったキーワード…
なぜ"ガンダーラ美術"を
博覧会に展示する必要があるのか?
という意見も出されていました。
奈良博三昧の展示は本物

十一面観音菩薩立像》重文
 中国・唐 703-704年

手には「滅罪」と刻まれた印、
十一面観音は通常 印を持たないが、
罪を除くという尊像の役割に
担っているといえます。

ガンダーラといえば…玄奘三蔵
奈良・西大寺の什物だったとか…
興福寺や薬師寺などの法相宗へと
繋がる系譜に位置づけられています。

十一面観音像》国宝

法隆寺の近くにある法起寺に
伝来した時期もあったが、
江戸時代には法隆寺鎮守社である
龍田新宮の本地仏とされたもの。

熊野三所権現御正体
 鎌倉時代 13世紀

奈良博データベースでは、
《熊野三所権現懸仏》として所収。
三所権現の本地仏…
中央に阿弥陀如来(本宮)
左に千手観音(那智)
右に薬師如来(新宮)を配されます。

こちら《熊野十二社権現御正体》。
中央上方から釈迦如来(勧請十五所)
時計回りに文殊菩薩、地蔵菩薩、
龍樹菩薩、不動明王、毘沙門天、
聖観音、如意輪観音、普賢菩薩が囲む。

伽藍神立像
 鎌倉時代 13世紀

異形の大黒天と解釈され
走り大黒」の名で親しまれてきた…
京都・東福寺 仏殿の伽藍神像に、
感応使者 (かんのうししゃ)」とか、
監斎使者 (かんさいししゃ)」
と呼ばれていたことがわかったそうです。

薬師如来坐像》重文
 奈良時代 8世紀

懸裳(かけも) が蓮弁の先端にかかる
敦煌にみられるもので、
日本の作例では珍しいとか…

十一面観音立像》重文
 奈良~平安時代 8~9世紀

ビャクダンを用い、
 一尺三寸の大きさに造る」、
十一面観音像の制作に関する
経典の規定に忠実な遺品です。

増長天立像
 平安時代 13世紀

興福寺北円堂に伝来したという
四天王像の南方天。
しかし…北円堂伝来は疑わしい。
広目天像は興福寺の所蔵のまま…

多聞天立像
 平安時代 11~12世紀

持国天像はミホ・ミュージアム
分蔵されているそうです。

いずれも邪鬼を踏みつける
こちらは《増長天立像》の邪鬼。
いわゆる仏か鬼か…

藤原鎌足像
 室町時代 16世紀 1515年(永正12)

奈良・談山神社の祭神とされる
藤原氏の祖・鎌足の肖像画。
子息である不比等
同じく子息である僧形の定貞
談山神社の前身の多武峯聖霊院
御神体として安置された本像は、
中世以降しばしば"御破裂"を
起こす霊像として畏怖されたとか。

親鸞聖人像》重文
 鎌倉時代 13~14世紀

鎌倉仏教の隆盛は、
それまでにあった仏教と違い、
凡夫であっても悟りを
持っているという考え方でした。
これを本覚と呼ぶのですが…
庶民に生まれたものであっても、
悟りに近づくことができると。


こんなパネルがありました。
「神に祈るのはいいけど、
 仏では効果がない」とか、
「こういうことは神に祈る、
 こういうことは仏に祈る」と
区別する日本人はあまりいません。
本地仏のことをパネルでは、
「日本になじむすがたに
 変身して現れたものではないか」

と解説されていました。

ラストに《兜跋毘沙門天立像》。
「とばつびしゃもんてん」
と読みます。
中国・唐から将来され、
平安京の守護神として羅城門上に
安置されたと伝える毘沙門天。
「兜跋」とは毘沙門天がもつ
宝塔(ストゥーパ)に由来するとか。

こちらは踏みつけるのではなく、
支えているのでしょうね
地天女および尼藍婆、毘藍婆の
二鬼が組体操のようにもみえます。
仏につながる人と、
神に結びつく人の交錯、
日本人の神仏ともに…

この姿にも見て取れました。

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