野球いきもの学⑥ 空を羽ばたくvol.3 駒鳥
オレンジ色が鮮やかな
日本では夏鳥のコマドリは、
「ヒンカラカラカラカラ・・・」
馬のいななきに似ていることから
駒鳥という名前を持つ。
英語名とすると"robin" ロビン、
西洋では「男女どちらでも付けて
良い名前の代表」だったりする。
ワンピースの「ニコ・ロビン」、
ロボコンの「ロビンちゃん」、
キン肉マンの「ロビンマスク」、
バッドマンの相棒「ロビン君」…
多彩なキャラがその名を持つ。
太陽ロビンズのオーナーは、
大阪船場の繊維問屋 田村駒の
田村駒治郎という人でした。
オーナーの名前が駒治郎、
だからロビンス(駒鳥)と命名。
野球体育博物館に残る
ロビンズのユニは、
オーナー用の40番が付く。
このグレーのビジターユニは、
松竹の社章にロビンが止まる。
腰にも番号が付いていて、
スーツに仕立てても
おかしくない上質の
グレーフランネルを使用。
タック付きというのも、
仕立て屋のユニなのである。
バットにとまる駒鳥の袖章が
付いた頃の帽子には
松竹映画の松竹マーク。
松竹ロビンスの1950年ユニは、
夏用の綿素材と春秋用のウール、
さすが繊維問屋のなせる仕業。
伝説の大打者・小鶴誠、
2リーグ制が始まった1950年、
その年に打ち立てられた
シーズン161の打点記録は、
今なお破られていない大記録。
ちなみに以下5位までの記録…
153点 ロバート・ローズ [横浜 1999]
147点 今岡 誠 [阪神 2005]
146点 藤村 富美男 [阪神 1950]
146点 落合 博満 [ロッテ 1985]
真ん中に田村駒治郎の姿…
セ・リーグの初代覇者の
松竹ロビンスの勝率.737は、
今もセントラル・リーグ
一位の記録で破られていない。
当時アメリカで開発中であった
水素爆弾になぞらえてというが、
「水爆打線」とのネーミングは、
時代を映すというほかない。
1951年のユニのロビンは、
ペナントが旗めいています。
日本球界で最初に
チャンピオンマークの
袖章を採用したのは、
南海ホークスでした。
1951年優勝の巨人軍は
採用しなかったため、
戦後すぐのプロ野球では、
チャンピオンマークが
定着しなかったのです。
松竹ロビンスの本拠地は、
京都にあった「衣笠球場」。
球場の開設は1948年のこと、
4年にわたり67試合のプロ野球の
公式戦が行われたのです。
1949年には、
京都新聞社が使用契約を結び、
大陽ロビンス(大陽京都ロビンス)の
公式戦の主催球場となったのです。
正式には「立命館衣笠球場」、
大学の施設だったのです。
※このブログは立命館 史資料センター
京都新聞社が使用契約を結び、
大陽ロビンス(大陽京都ロビンス)の
公式戦の主催球場となったのです。
正式には「立命館衣笠球場」、
大学の施設だったのです。
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