野球いきもの学① 泳ぐモノたち


広島カープの鯉はどこを泳ぐのか?
球団歌の「それ行けカープ」、
空を泳げと 天もまた胸を開く 
 今日のこの時を 確かに戦い
 遥かに高く 遥かに高く…

ニックネームの選定には、
レインボー、アトムズ、
ブラックベア、ピジョン(鳩)、
グリーンズなど…

広島の名士である谷川昇さんが、
カープの名付け親と知られる。
「文献によると、
 鯉は諸魚の長となす。
 形既に愛す可く
 又神変乃至飛越をよくす、とある。
 また己斐は鯉から
 転化したものであり、
 恋にも通ずる…」と
鯉の由来について語っておられます。

かつてセ・リーグにはもう一球団、
泳ぐモノをチーム名に
冠したチームがありました。
「大洋ホエールズ」
1975年から1977年に登場した
「ホエールズ坊や」

袖章に長らく付いてた
大洋漁業の社章"まるは"
大洋漁業の源流「林兼商店」に
"まるは”の由来があるのです。
林兼商店の屋号は林屋、
明石の林村がルーツで
戸主は林屋兼松と名乗った。

湘南カラーのユニにも"まるは"。

大洋漁業の2代目社長 中部兼市は、
積極的に「捕鯨」を押し進め、
大洋漁業=鯨というイメージが定着。
ノンプロチームの大洋漁業は、
都市対抗野球では実績を誇っていた。
1949年新リーグ発足で
プロ野球チームが増え、
強豪 大洋漁業はプロ野球の
草刈り場となってしまった。

それなら…
「よし、プロ球団に選手を
 引き抜かれるくらいなら、
 わが社もプロ球団を
 さっそく作ろう。」

まるは球団」の設立は、
1949年11月22のこと。

巨人軍の中島治康をはじめ、
主力選手を引き抜いた。
「鯨の2、3頭も余分にとれば
 スター選手の20人や30人
 雇うのはなんでもない」

社長はそう言い放ったという。

中島治康のスタジアムジャンパーに
ユニークな表情をみせる鯨。

ホエールズと名乗る球団歌、
その3番にこんな歌詞
流す涙は 男の血潮
 誓うナインで がっちり掴む
 勝利の星は 大洋ホエールズ」
海の男のチームの意気込みが
込められていました。

おそらくホエールズという
名前を続けるのは、
捕鯨問題とも関係していたのやも。
1993年に横浜ベイスターズに、
大洋漁業も企業名をマルハに。
時は流れて…いま、
"マルハニチロ”の企業ロゴが
腰に据えています。

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