ウチナー・グスクを征く⑩ 今帰仁城その4


グスクを征くとするのか、
ウタキを辿るとするのか…
今帰仁城には拝所が
いくつもあり火神の祠は、
主郭のなかにあります。

多くの礎石が現存していて、
桜の植樹の影響もあって、
いくつかは一部移動
させられてはいるものの…

1982年から4年間の発掘調査で、
13世紀末から17世紀初めまで、
機能していたことが分かりました。

尚巴志王によって滅ぼされ、
1422年に第二子である
尚忠を山北監守として、
ここに派遣してきます。
首里より遠く、
地は険阻 人は驍健である、
というのが監守派遣の理由です。
険阻(けんそ)とは地勢が険しい、
驍健(ぎょうけん)は強く健やか。
今帰仁から監守が
引き揚げたのは1665年。
翌年には今帰仁間切は分割、
伊野波間切(のちの本部間切)が
創設されたそうです。
間切とは沖縄の旧行政区画名。
「間」は区域、「切」は
それをくぎることの意味。
今帰仁監守引き揚げ後、
火神の祠を祀られました。
現在の祠は戦後改築したものを、
整備事業により現在の場所に
移築したのだそうです。
「山北今帰仁城監守来歴碑記」

実はコチラがオリジナル
今帰仁歴史文化センター
保管展示されています。

拓本もあり解説には、
「碑文は北山の歴史から
 説き起こし、
 今帰仁按司 一世 尚巴昭威
 (しょうしょうい)から
 十世 宣謨(せんも)に
 至るまでの歴代按司が
 今帰仁城を立派に治めてきた
 事が記されている」
とありました。
旧宅地であるかつての
根所の火の神だったそうです。
祠内には香炉と、
火の神を象徴する石が
置かれていました。
福木(フクヂ)とともに
この地を護っています。

※このブログも
 沖縄県今帰仁教育委員会が編纂された
「今帰仁村文化財ガイドブックvol.1
 世界遺産 今帰仁城跡」を参考にしました。


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