地鉄を征く〜あすなろう鉄道② 八王子線へ
四日市あすなろう鉄道には、
あすなろう四日市〜内部(うつべ)
8駅の5.7㎞の内部線と、
日永〜西日野までの2駅、
1.3㎞の八王子線があります。
日永駅はこんな分岐…
内部線の支線のように
思ってしまいますが…
開業は八王子線が先でして、
戦後に内部線が八王子線に
先立って電化されるまでは、
むしろ逆の立場にありました。
日永駅での3両目は
ドアとの隙間が三角に。
日永駅からたったの1駅。
終点の西日野駅へ…
終点の西日野駅に到着なり。
八王子線には
八王子という駅がない(T_T)
実はかつては線路は続いていて、
伊勢八王子駅 まで、
運行されていたのです。
駅前整備のあたりに勾配が、
かつての名残です。
天白川という川沿いを
運行されていたのです。
こちら地元の日野地蔵尊の祠。
宝亀10年(779)勅命を受け、
陸奥の反乱を治めた兵士が、
帰途にて病にかかったとか。
里人の看病の甲斐なく
亡くなったそうです。
お盆を命日としての供養は、
今も続いているそうです。
かつての八王子線西日野駅を
過ぎたあたりは、
川堰があったこともあり、
川面が迫っていたとか…
終点の伊勢八王子駅…
電化前は運転台が一つで、
小さなターンテーブルが
あったとか…
終点の車止め
駅の時刻表…
ほぼ30分に1本だが、
7時〜8時台は本数が多い。
というのも、
1駅八王子線が残されたのは、
応援の支え合っての
あすなろう鉄道なのです。
天白川という川沿いを
運行されていたのです。
こちら地元の日野地蔵尊の祠。
宝亀10年(779)勅命を受け、
陸奥の反乱を治めた兵士が、
帰途にて病にかかったとか。
里人の看病の甲斐なく
亡くなったそうです。
お盆を命日としての供養は、
今も続いているそうです。
かつての八王子線西日野駅を
過ぎたあたりは、
川堰があったこともあり、
川面が迫っていたとか…
終点の伊勢八王子駅…
電化前は運転台が一つで、
小さなターンテーブルが
あったとか…
終点の車止め
駅の時刻表…
ほぼ30分に1本だが、
7時〜8時台は本数が多い。
というのも、
1駅八王子線が残されたのは、
県立四日市南高校があるから。
駅前には大きな駐輪場もあり、
四日市駅前には欠かせない足。
輸送量が減少していた
八王子線全線廃線は、
近鉄から強く
打ち出されていたとか…
その後地元の強い要望で
「公有民営方式」で存続。
通勤・通学時間帯だと、
車体が小さいこともあり、
通路もほぼ完全に
埋まるそうです。
駅前には大きな駐輪場もあり、
四日市駅前には欠かせない足。
輸送量が減少していた
八王子線全線廃線は、
近鉄から強く
打ち出されていたとか…
その後地元の強い要望で
「公有民営方式」で存続。
通勤・通学時間帯だと、
車体が小さいこともあり、
通路もほぼ完全に
埋まるそうです。
応援の支え合っての
あすなろう鉄道なのです。