鳥取城址の洋館〜仁風閣
鳥取城址の一角にある「仁風閣」...
そういえば最近ゆるキャラないと
話題になってる鳥取城址の
マスコットキャラクター
「かつ江(渇え)さん」。
県のナンバーワンの高校とかは、
お城のなかに建てられていることが多いのです。
なぜなら城は地元の人にとって身近な存在、
そういえば最近ゆるキャラないと
話題になってる鳥取城址の
マスコットキャラクター
「かつ江(渇え)さん」。
城址にはこんな豪華な洋館が
出で立っておりました。
ここは「県立鳥取西高等学校」にほど近い。県のナンバーワンの高校とかは、
お城のなかに建てられていることが多いのです。
なぜなら城は地元の人にとって身近な存在、
日本人は城から多くの影響を受け、
また人を育ててきたのも城だったから…
これは鳥取城の太鼓御門があったところ...
日本の城の多くは明治維新時に
壊されてしまっているが、
新政府になっても地理的にも政治的にも、
”まち”の中心的位置を占めているには違いない。
石川県立小松高校や兵庫県洲本高校、
大阪府内高槻市にある「槻の木高等学校」も、
高槻城跡に建てられている。
1907年(明治40)にのちの大正天皇が、
山陰地方を行啓されるのにあわせて、
その宿舎として建てられたものです。
フレンチ型ルネッサンス様式が基調。
高槻城跡に建てられている。
城門や天守閣が校舎の一部ってとこもある。
石垣の横の茂みからのぞき込むと、
白亜の洋館が...1907年(明治40)にのちの大正天皇が、
山陰地方を行啓されるのにあわせて、
その宿舎として建てられたものです。
フレンチ型ルネッサンス様式が基調。
鳥取池田家の第14代当主 池田仲博侯爵が、
宮内省匠頭であった 片山東熊(かたやまとうくま)に
池田家の別邸として設計を依頼したもの。
現場の指揮を執ったのは片山の後輩で、
鳥取市出身の 橋本平蔵(はしもとへいぞう)。
仁風閣に灯ったのが、
鳥取県下ではじめての電灯で、
山陰の地への文明開化の到来の
象徴でもありました。
正面はセグメンタルぺディメントである
「櫛形破風」の棟飾り。
寄棟造りの瓦屋根には、
ルネッサンス様式にみられる
王冠型の棟飾りに、
6つの煙突と円形の換気窓など、
変化に富んだ設えがなされています。
ゴシック風の八角尖塔は
階段室になっています。
正八角筒状になっているので
「八角塔」と呼ばれているそうです。
内部はイチオー撮影不可だったように思う。
いずれも絵ハガキより。
「ら旋階段と塔屋(階段室)」
支柱が一本もなく、
6枚のケヤキ材をつなだいだ
「厚板(ささらげた)」というもの。
段板を脇板を支える構造で、
なめらかな曲線が構成されていて、
建築技法上傑作と激賞されているらしい。
ちなみに現在は昇降はされていない。
裏手に回ると…
ベランダコロニアルスタイル。
2階ベランダからは庭園が
一望できるようになっていました。
優雅さを醸しだす。
ライト・アップされると、
こちらの背面は繊細なイメージで美しく、
貴婦人のような雰囲気。
「仁風閣」の名は、皇太子に随行した
海軍大将 東郷平八郎の命名で、
直筆の額が二階ホールにありました。
「謁見所」
背面中央部のベランダの突出する部分の
2階にあるのだ謁見所。
皇太子行啓が宿舎となっていたときの名で、
当時は赤いじゅうたんが敷かれていたと
記録にあるそうだ。
「御座所」
各室ともに装飾は見事なのだが、
なかでも御座所は当時の設えを今に伝える。
シャンデリア、古典調の家具、
そしてマントルピースはみごとという他ない。
※マントルピース
暖炉の炉の上部・側面を囲むかたちで
宮内省匠頭であった 片山東熊(かたやまとうくま)に
池田家の別邸として設計を依頼したもの。
現場の指揮を執ったのは片山の後輩で、
鳥取市出身の 橋本平蔵(はしもとへいぞう)。
仁風閣に灯ったのが、
鳥取県下ではじめての電灯で、
山陰の地への文明開化の到来の
象徴でもありました。
正面はセグメンタルぺディメントである
「櫛形破風」の棟飾り。
寄棟造りの瓦屋根には、
ルネッサンス様式にみられる
王冠型の棟飾りに、
6つの煙突と円形の換気窓など、
変化に富んだ設えがなされています。
ゴシック風の八角尖塔は
階段室になっています。
正八角筒状になっているので
「八角塔」と呼ばれているそうです。
内部はイチオー撮影不可だったように思う。
いずれも絵ハガキより。
「ら旋階段と塔屋(階段室)」
支柱が一本もなく、
6枚のケヤキ材をつなだいだ
「厚板(ささらげた)」というもの。
段板を脇板を支える構造で、
なめらかな曲線が構成されていて、
建築技法上傑作と激賞されているらしい。
ちなみに現在は昇降はされていない。
裏手に回ると…
ベランダコロニアルスタイル。
2階ベランダからは庭園が
一望できるようになっていました。
ベランダのオーダー角柱は
タスカン風??とか...
手摺の並んだ欄干とも相まって優雅さを醸しだす。
ライト・アップされると、
こちらの背面は繊細なイメージで美しく、
貴婦人のような雰囲気。
「仁風閣」の名は、皇太子に随行した
海軍大将 東郷平八郎の命名で、
直筆の額が二階ホールにありました。
「謁見所」
背面中央部のベランダの突出する部分の
2階にあるのだ謁見所。
皇太子行啓が宿舎となっていたときの名で、
当時は赤いじゅうたんが敷かれていたと
記録にあるそうだ。
「御座所」
各室ともに装飾は見事なのだが、
なかでも御座所は当時の設えを今に伝える。
シャンデリア、古典調の家具、
そしてマントルピースはみごとという他ない。
※マントルピース
暖炉の炉の上部・側面を囲むかたちで
壁面に設けられる飾枠のこと
「マントルピースのタイル」
修復のときにはがしてみたら出てきたとか...
男女一対の肖像画の裏面には
「FLAXMAN」の刻印が刻まれていた。
イギリスの著名な彫刻がである
ジョン・フラックスマンの作。
※ジョン・フラックスマン(1775〜1826)
イギリスの彫刻家,挿画家。
「マントルピースのタイル」
修復のときにはがしてみたら出てきたとか...
男女一対の肖像画の裏面には
「FLAXMAN」の刻印が刻まれていた。
イギリスの著名な彫刻がである
ジョン・フラックスマンの作。
※ジョン・フラックスマン(1775〜1826)
イギリスの彫刻家,挿画家。
イギリス彫刻史上最大の人物であるとともに,
この国の新古典主義の代表的芸術家。
「冬の仁風閣背面と宝隆院庭園」
久松山を背景とする廻遊池泉式の
宝隆院庭園に雪が降り積もり、
仁風閣の白さに溶け込み別世界のよう。
実は2012年夏に公開され、
大ヒットの佐藤健さんが主演だった、
映画「るろうに剣心」のロケが
行われた場所とかで、その後ロケ地巡りで
賑わったこともあるそうです。
「仁風閣」
建築年:1907年(明治40)
構造:木造、地上2階
設計:片山東熊、橋本平蔵
施工:浜田芳藏
久松山を背景とする廻遊池泉式の
宝隆院庭園に雪が降り積もり、
仁風閣の白さに溶け込み別世界のよう。
実は2012年夏に公開され、
大ヒットの佐藤健さんが主演だった、
映画「るろうに剣心」のロケが
行われた場所とかで、その後ロケ地巡りで
賑わったこともあるそうです。
「仁風閣」
建築年:1907年(明治40)
構造:木造、地上2階
設計:片山東熊、橋本平蔵
施工:浜田芳藏
所在地:鳥取市東町2-121
【国・重要文化財】
【国・重要文化財】