江戸東京の水道を探る〜江戸のころ

文京区本郷にある
"東京都水道歴史館"へ…
神宮球場遠征のときに寄りました。

御茶ノ水駅をこえて歩いて8分、
順天堂大学の裏あたり。
江戸時代から400年続く
東京の水道の歴史を辿る。

江戸の上水井戸

順天堂大学の裏あたり。
江戸時代から400年続く
東京の水道の歴史を辿る。

江戸の上水井戸

地中に埋められた樋により
配水されました。
石や木で作られた樋は、
現在の水道設備のように
配水管、給水管の役割、
様々な大きさや形の木樋が
継手により連結され、
上水井戸へと給水されたそうです。

上水井戸は共同で使用され、
各家では上水井戸から水を汲み、
水瓶か水桶にためて、
生活に利用したのです。

配水されました。
石や木で作られた樋は、
現在の水道設備のように
配水管、給水管の役割、
様々な大きさや形の木樋が
継手により連結され、
上水井戸へと給水されたそうです。

上水井戸は共同で使用され、
各家では上水井戸から水を汲み、
水瓶か水桶にためて、
生活に利用したのです。

文京区本郷一丁目先の外堀通りで、
神田川分水路の工事中発掘された
"神田上水石桶”が歴史館の裏手に、
移設保存されていました。

神田川分水路の工事中発掘された
"神田上水石桶”が歴史館の裏手に、
移設保存されていました。

"神田上水"は1590年(天正18)、
徳川家康の江戸入府に先立ち、
家臣・大久保藤五郎に
上水開設を命じたものです。
小石川に水源を求め、
目白台下の流れを利用し、
神田方面へ通水させたと
伝えられています。

《名所江戸百景 玉川堤の花》
歌川広重 画
徳川家康の江戸入府に先立ち、
家臣・大久保藤五郎に
上水開設を命じたものです。
小石川に水源を求め、
目白台下の流れを利用し、
神田方面へ通水させたと
伝えられています。

《名所江戸百景 玉川堤の花》
歌川広重 画
家光が三代将軍となると、
諸国の武家が江戸に集まり、
生活を支える町人が増え、
江戸の人口は増加したことで、
水需要が増大しました。
神田上水に加え、
江戸町人であった
庄右衛門、清右衛門兄弟が、
多摩川を水源に開設したのが、
1654年(承応3)の"玉川上水"。

《名所江戸百景
四ツ木通用水引ふね》
歌川広重 画
四ツ木通用水引ふね》
歌川広重 画
明暦の大火後の江戸の復興、
本所、深川の町づくりで
開設されたのが"亀有上水"。
隅田川東側への給水を可能に、
元荒川に堰を作って溜井とし、
埼玉県北足立郡を経て、
亀有に入り南下させた。
後に"本所上水"と
呼ばれました。

《冨嶽三十六景 隠田の水車》
葛飾北斎 画
"青山上水"を利用の"隠田の水車"、
本所、深川の町づくりで
開設されたのが"亀有上水"。
隅田川東側への給水を可能に、
元荒川に堰を作って溜井とし、
埼玉県北足立郡を経て、
亀有に入り南下させた。
後に"本所上水"と
呼ばれました。

《冨嶽三十六景 隠田の水車》
葛飾北斎 画
"青山上水"を利用の"隠田の水車"、
青山上水は1660年(万治3)に
雑賀仁左衛門、木瓜屋庄兵衛
によって開設されたもの。
1722年(享保7)に廃止されたが、
1882年(明治15)から"麻布水道"、
近代水道敷設まで利用されたとか。

たとえ大名であっても、
門前を流れている上水を
幕府の許可なしに、
勝手に自分の屋敷に
引き込むことは御法度。

上水の上流と下流では、
引き込んでいる水道が原因で
刃傷沙汰が起こることも。
雑賀仁左衛門、木瓜屋庄兵衛
によって開設されたもの。
1722年(享保7)に廃止されたが、
1882年(明治15)から"麻布水道"、
近代水道敷設まで利用されたとか。

たとえ大名であっても、
門前を流れている上水を
幕府の許可なしに、
勝手に自分の屋敷に
引き込むことは御法度。

上水の上流と下流では、
引き込んでいる水道が原因で
刃傷沙汰が起こることも。

野菜や食器を洗うために、
水をふんだんには使えなかった。

水がめの水は、主に炊飯用や飲み水、
洗い物は共同井戸で済ませた。
水がめから柄杓で水を汲む。
何かを洗うとしても、
小さなたらいの上で水を受ける。

水仕事は主に井戸の近くで、
当然 厠もみんなで…


《東都名所 御茶之水之図》
共同でおこなっていたのです。


玉川上水や神田上水が引かれて、
町に水道ができる一方で、
町に水道ができる一方で、
"水売り"という存在も現れます。
「水銀(みずぎん)」と呼ばれる
水道料金も決められていましたが、
間口一間(1・82m)につき
月16文から20文程度、
現在価格で320円程度なので、
意外と安いものだったのです。

《水売り》鈴木春信 画
江戸時代・18世紀
水売りが運んでくる水を買うと、
「水銀(みずぎん)」と呼ばれる
水道料金も決められていましたが、
間口一間(1・82m)につき
月16文から20文程度、
現在価格で320円程度なので、
意外と安いものだったのです。

《水売り》鈴木春信 画
江戸時代・18世紀
水売りが運んでくる水を買うと、
かなり割高だったが、
1荷が46kgというから、
”水売り”は重労働。
雨の日も雪の日も、
夏の暑い盛りにも
一日も休まずに…
水売りたちに与えていたのは、
"人の役に立つ"ということ。


《東都名所 御茶之水之図》
歌川広重(初代)画