カトリック大和郡山教会"浦上四番崩れ"のこと

大和郡山駅から郡山城に向かう
道すがら…
カトリック大和郡山教会に立つ
”浦上四番崩れ流配者記念碑”
なるものがありました。

長崎の大浦天主堂の正式名称は
「日本二十六聖殉教者天主堂」、
1864年(元治元)の創設で、
幕末の外国人向け教会として、
設立されたものです。

こちら長崎の浦上天主堂、
原爆の悲劇を乗り越えて再建された、
ロマネスク様式の大聖堂です。
幕府は慶長元年(1596)以来
300年間 邪宗門信奉として、
間断なく迫害を敢行しました。
幕府崩壊後も維新政府は、
七代に亘って潜伏を続けたという、
長崎県浦上村民3416名を捕縛。

1869年(明治2)に家族を
分散総流罪に処したのです。
事件を称して"浦上四番崩れ"
と呼んでいるそうです。

長崎浦上のキリスト教信者
3,300余名の人たちは、
日本の各地に流配されました。
そしてその内、86名の人たちが、
遠き大和郡山へと強制送致、
苦難な歳月を重ねたという。
幕府は慶長元年(1596)以来
300年間 邪宗門信奉として、
間断なく迫害を敢行しました。
幕府崩壊後も維新政府は、
七代に亘って潜伏を続けたという、
長崎県浦上村民3416名を捕縛。

1869年(明治2)に家族を
分散総流罪に処したのです。
事件を称して"浦上四番崩れ"
と呼んでいるそうです。

長崎浦上のキリスト教信者
3,300余名の人たちは、
日本の各地に流配されました。
そしてその内、86名の人たちが、
遠き大和郡山へと強制送致、
苦難な歳月を重ねたという。

切支丹墓碑には殉教者6名の
名前が刻み込まれています。
1926年7月建立とありますが、
誰が建立されたかは定かでなく。
もとは雲幻寺(良玄禅寺)の
境内にあったものが、
1969年11月3日移されました。

名古屋以西の 21 藩に
分散流配されたそうです。
信仰一途に生命を棄てて
殉教死した人も
612名に及んだとの記録があります。
郡山藩に預けられたのは、
戸主10名と14家族婦女子76名、
茶町の雲幻禅寺に送られました。
9名の殉教死者を出しながら、
解放されたのは1873年(明治6)、
故郷浦上に帰ったそうです。

雲幻禅寺では風呂あり火鉢あり、
旅館からの炊き出しもあったとか。
その後、綿町、魚町、柳町2丁目、
同3丁目の4か所に分囚されますが、
「流配信徒の処遇は寛大にすべきだ」
との郡山藩主 柳澤保申の意見具申、
ただ十字架の没収や裸にしての捜査、
威嚇は厳しいものであったようです。

こちらは2022年11月に
大和郡山市綿町にある
築約100年の古民家で発見された
「マリア観音」と呼ばれるもの。
高さ約13センチの石像、
天井近くの
隠し部屋のような空間で、
火鉢のような器の中に
置かれていたという。
古民家の隣には
浦上キリシタンたちがいた
綿町収容所があったそうです。
