YOKOHAMA☆サイドvol.5 横浜山手西洋館


《旧内田定槌邸》
外交官 内田定槌の自邸として
建てられたので「外交官の家」と
名づけられています。

内田定槌(うちだ・さだつち)は、
京城、ニューヨーク領事、
ブラジル、スウェーデン公使を経て、
1923年にトルコ大使の経歴を持つ。

もとは東京渋谷の南平台に、
1910年に建てられたもの。
1997年 定槌氏の孫 宮入氏より、
横浜市が寄贈を受け、
山手イタリア山庭園
移築復元されたのを契機に、
国の重要文化財に指定されています。

設計者米国聖公会からの
宣教師であるJ.M.ガーディナー
立教学校(現在の立教大学)の校長を
10年務めた後は設計活動に専念、
聖公会系の教会や大使館など
パブリックワーク
をこなしました。

木造2階建て下見板張りの外壁、
天然スレート葺きの屋根、
八角形の塔屋が印象的。、
アメリカンヴィクトリアン様式
影響を色濃く残しています。

創建時は和館付属の
和洋折衷スタイル
でしたが、
和館は1972年に取り壊されていて、
接続部分にその名残を留めています。

庭園側から建物を眺めると、
窓のバリエーションが豊かで、
華やいだ雰囲気を構成しています。

《旧バウデン邸》
別名"ブラフ18番館"とよばれるが、
旧地名「山手居留地18番」に由来、
"断崖"を意味するブラフ
山手は"切り立った崖"であることから
居留外国人から"ブラフ"と
呼ばれていたそうです。

関東大震災後の建築で、
オーストラリア貿易商
バウデン氏の元住宅でした。
戦後は天主公教横浜地区の所有に、
カトリック山手教会の司祭館として
1991年まで使用されていました。

横浜市が部材の寄贈を受け、
山手イタリア山庭園に移築復元。
1993年から一般公開されたもの。

4つの暖炉を1つにまとめた
合理的な造りの煙突。
フランス瓦の屋根、
上げ下げ窓と鎧戸、
バルコニーとサンルームなど、
震災前の外国人住宅の特徴を
残しながらも、
外壁は震災の経験を生かした、
モルタル吹き付け仕上げ
です。



山手イタリア山庭園には、
ミニチュアの横浜山手西洋館が、
ブラフ界隈を紹介していました。

外交官の家

ブラフ18番館

こちらは「横浜市イギリス館
1937年(昭和12)建築
上海の大英工部総署の設計、
英国総領事公邸でした。

広い敷地と建物規模をもち、
東アジアにある領事公邸の中でも、
上位に格付けられていたとか…

旧ラフィン邸
夏の日差しが似合う、
陽気なスパニッシュ・スタイル
荒々しいスタッコ仕上げ白壁、
赤い瓦屋根や入口の半円アーチ。
ポーチ上部のパーゴラが、
1階居間をやんわりと保護…

外観の軽やかさとは反して、
質実剛健な重厚で空間。
設計したのが、
ジェイ・ハーバート・モーガン
が設計した洋館というのが、
その理由かも知れません。

ベーリック・ホール
スパニッシュスタイルを基調の、
1930年(昭和5)モーガン設計
イギリス貿易商 B.R.ベリック邸。
第二次世界大戦前まで住宅として
使用されたのち…
2000年まで、セント・ジョセフ・
インターナショナル・スクールの
寄宿舎として使用されていました。

エリスマン邸
生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の
横浜支配人のフリッツ・エリスマン氏の
邸宅でとして1926年に完成したもの。
近代建築の父といわれるチェコ人の
建築家 アントニン・レーモンドが設計。

洋風住宅の意匠と、
軒の水平線を強調した
木造モダニズム的要素
を持り、
設計者レーモンドの師匠である
F.L.ライトの影響も見られます。
1982年にマンション建築で解体…
1990年に現在地に再現されたもの。

山手234番館》は、
外国人向けの共同住宅
(アパートメントハウス)として、
現在の敷地に建てらたものです。

ここは関東大震災の復興事業の一つで、
横浜を離れた外国人に
戻ってもらうために建設されたという
経緯があります。
設計者は朝香吉蔵です。

建築当初は4つの同形式の住戸が、
中央部分の玄関ポーチを挟み、
対称的に向かい合い、
上下に重なる構成だったとか。

《旧中澤邸
横浜唯一であり最古の
明治時代の木造西洋館
で、
現在は施設の"山手資料館"。

和洋折衷型住宅の洋館部分が
この地に移築されたものです。
オレンジ色のフランス瓦
半切妻の独特な屋根、
ドイツ下見板張りに鎧戸、
妻飾りや破風の装飾は、
戸部の大工の手によるもの。

《山手十番館》
1967(昭和42)年、
明治100年を記念して建てられた
明治期の洋館風建築。
歴史的な渋みはないが…、
山手の洋館のテイスト。

八角塔があり
ランドマーク的存在…

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