広島の洋館・燃料会館


今回の広島遠征には安芸の宮島には
行かなかったのだけども...
原爆ドームだけは訪れなければ、
ココロが落ち着かない。
三連戦が終わったその翌日の月曜日、
ひとりで平和を願う場所に・・・

その原爆ドームのほど近いところに、
多大な損傷を受けながらも生き延びた
もうひとつの生き証人が佇んでいます。

広島県産業奨励館」は ほぼ煉瓦造でしたが。
こちらは鉄筋コンクリート造り。
コンクリートの屋根は大破して、
建物は破壊炎上したそうです。

被爆当日37人が勤務していて、
そのうち8人は傷つきながらも脱出されたのでですが、
7名はその後亡くなられたそうです。
たまたま地下に書類を取りに下りていた1人の方は、
奇跡的に生き残られたということです。
繁華街だった平和公園内の町の中で、
唯一残ったあの日を伝える建物だということ。

1929年に大正屋呉服店として建設されたのですが、
戦争末期になると売る物も無くなって、
被爆時には広島県燃料配給統制会社の本部として、
「燃料会館」と名乗っていたようです。
戦後修理されたのち、
現在は公園のレストハウスになっています。

広島市内には原爆被災説明板というものがあって、
レストハウスにかかる元安橋の手前にも。

爆心地から約130メートル...
「原子爆弾の爆風により点灯装置の
 笠石が左右反対方向にずれ、
 欄干も元安川に転落したが、
 橋自体は爆心直下のため崩壊を免れた。
 この状況は、
 その後爆発点測定の重要な資料となった。
 現在の元安橋は、
 大正15年の架橋時の姿に復元したものであり、
 被爆当時の親柱・中柱をそのまま利用した。
 さらに歴史の証人として
 中柱2基をここに保存するものである。」


ぷらぷら日記.46 「原爆被災説明板」編

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