呉の鎮守府司令長官官舎へ

呉鎮守府司令長官官舎のある
入船山記念館」を訪ねました。

江田島からの帰りは早瀬大橋、
そして倉橋島から音戸大橋を渡って呉へ。



音戸大橋











終戦まで日本の沿岸は5つの海軍区に分けられていて、
それぞれに鎮守府が設置されていたそうです。

鎮守府とは地方軍政機関で、呉のほかに
横須賀・佐世保・舞鶴などにおかれていたようです。
1905年(明治38)に建てられた
木造平屋建ての和洋接合の建物。
海軍の一大拠点であった呉は、
極端に海軍に依存した都市であったのですが、
当時の面影を伝える遺構は多くありません。

正面となる洋館部は、
イギリスに範を求めた海軍だけあって、
イギリス風の「ハーフティンバー様式」の外観。
柱、梁、筋違などをそのまま外部に表現したもの。

屋根は天然スレートの魚鱗葺きで葺かれています。

洋館の背後は和館になっていて、
司令長官および家族の居住スペースになっています。
和館部の間取りは畳廊下を境に
表と奥に分かれていて、
おそらく日本庭園が
付いていたのだと思います。

欄間の透かし彫りの吉祥紋もなかなか...

座敷には、床の間や違い棚、
付書院などが設けられていて、
そのほかに使用人室や離れ座敷などもありました。

洋間の客室の内装には
金唐紙
(きんからかみ)」 という、
明治期に流行した壁紙が貼られています。
模様を彫り込んだ版木棒に和紙を巻き、
刷毛で叩いて凹凸をつけ、着色をしたもの。

客室の壁紙は草花と昆虫が図案化されていて、
ウィリアム・モリスがデザインしたモリス商会の
室内装飾によく似ているとの研究があるそうです。
こちらは「食堂」で、床は市松模様の寄木張り。
家具調度品には、18世紀イギリス・ジョージアン時代に
活躍したチッペンデールのデザインのものが並んでいます。
17世紀ごろのヨーロッパの内装には、
天井などに装飾革を使用することがあったらしく、
日本に伝わって革の代わりに和紙を使う方法が
考案されて誕生したものだそうです。

食堂の壁面の「版木棒」











ただ、接収した米軍にはその価値が分からず、
白いペンキで塗りこめられてしまったようで、
これは1991年の復元作業の過程で、
金唐紙が使われていることが分かり、
改めて「金唐紙」が作られて再現されたものです。
上野の旧岩崎邸の洋館にも使われていました。

正面玄関ドアの海軍錨と
桜のマークがデザインされたガラス、
その周囲にステンドグラスがはめ込まれています。

こちらは一号館と名づけらら旧海軍の「弾薬庫」で、
音戸の背に近い 休山
(やすみやま)というところに
あった砲台の「旧 鷹烏
(たかがらす)砲台火薬庫」。

券売所も1981年に解体された初代呉鎮守府庁舎の
レンガを使って作られているとか。。。

そして入り口近くには旧呉海軍工廠 造機部屋上に
設置されていた「旧呉海軍工廠塔時計」。

かつては時を刻んでいたようですが、
今は毎年小中学生が作曲したメロディーが、
1日4回流れるのだそうです。


そして…
入船山公園は市美術館もあってちょっとした
文化エリアになってるようで…
ここにおなじみの 籔内佐斗司さんの童子たち…

青空のもと 思いっきり駆け抜けていました!

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