横浜富岡をあるく 富岡八幡宮

横浜遠征の雨模様…
ナイターの心配をしつつ
京急富岡駅 周辺の散策記。

ホテル最寄りの関内駅でブルーライン、
上大岡駅で京急に乗り換え、
"福参り”の看板がありました。

京急富岡駅は1930年4月に
湘南電気鉄道が開業されたときは、
駅は設置されませんでしたが、
同年7月には夏季のみの
海水浴客専用仮駅の"湘南富岡駅"が
前身なのだそうです。

当時は駅舎の海側に海岸線を
見ることができたそうです。
沖の方まで埋め立てられて、
高層住宅が建ち、
人口も急増している地域です。

富岡八幡宮の始祖は、
建久2年(1191)に源頼朝が
摂津の西宮の恵比寿様を勧請し、
お祀りしたのが始まり。

鎌倉幕府から鬼門の方角に当り、
社殿も鬼門を向いて祭られています。

えびす様は漁業の神様とされ、
海の守り神として崇敬されてきました。

絵馬には"波除八幡宮”とあるものも…
1311年(応長元年)に発生した
"応長の大津波"で隣村の長浜千軒は
海にのまれ全滅してしまいましたが、
富岡は八幡宮の山に守られて
無事だったと伝えられています。


厄除けのいろんなお守りがありました。

現在の本殿は天正14年(1586年)の建築、
2002年の造営により覆殿を復興され、
柿葺の屋根・丹塗の社殿など、
桃山時代の姿に戻されました。

漆塗りの本殿の扉は、
鶴岡八幡宮の造営に際し、
寛永3年(1626年)に富岡八幡宮へ
授けられたものです。

御祭神は八幡大神、応神天皇、
神功皇后、比売大神、
そして明治6年(1873年)に
伊勢皇大神宮を合併合祀し、
天照皇大神も祀られています。

こちらが"古殿地"で2002年の
遷座前に本殿があった場所には、
真榊が植えられています。

社宝の《絹本著色八幡神像》
白地に瑞雲文の来帯を着け、
右手に矢、左手に弓を持ち、
太刀を身に付けた若々しい神像。
裏箔と呼ばれる画絹の裏から
裏箔と呼ばれる画絹の裏から
装飾する技法が用いられていて、
桃山期の武将像に似通っている。

京急富岡駅より参ったので、
こちらが正面鳥居となります。

鳥居の傍らに立つ
"料亭 金波楼"の案内杭。

かつてはこのあたりに海岸線があって、
明治17年(1884)に地元の人々が出資、
翌年 日本初の株式会社組織の割烹旅館
"金波楼"が誕生した。
木造2階建てで、海水を引いた生け簀の
魚を出す料理が評判になっていたようです。
ただ1923年の関東大震災で建物が倒壊、
廃業したそうです。

こちら神社にあった
《武州富岡 海水浴場 金波楼図》
2016年9月に閉館した
川崎・砂子の里資料館から
寄贈されたものだそうです。

富岡八幡宮の創建以来の神事に、
毎年7月中旬に行われる"祇園舟"。

海岸線は遠くになりましたが、
船溜りにてに行われています。
船溜りにてに行われています。

"茅舟"(かやぶね)に罪穢れを託して、
沖合遠く流しやるもので
茅の輪くぐりや夏越の祓の神事に通じ、
祓え清めて暑い夏を迎えるもの。

明治維新の頃、富岡海岸の水質が
良いことから海水浴を奨励したのが、
ヘボン式ローマ字で著名な眼科医
ジェームス・カーティス・ヘボン博士、
外国人専用だったそうです。

ちなみに日本人も泳げる海水浴場の
発祥は、神奈川県の大磯で、
1885年(明治18)のことだそうです。
