横浜市電保存館 をたずねる
%20-%2017.jpg)
ハマスタ遠征好きな虎次郎…
横浜観光スポットも行き尽くし感あり、
横浜市営交通の一日乗車券で行ける?
"滝頭"という場所にある
横浜市電保存館 へ行ってきました。

新幹線のEXを使ってると、
"EXみなとぶらりチケット"が買える。
発売は「EXご利用票」を見せると、
市営地下鉄 新横浜駅 窓口でゲット。

滝頭エリアへの〜〜が気になりつつ
%20-%201.jpg)
吉野町駅から程なく歩き"中村橋バス停"へ…
%20-%202.jpg)
"滝頭"バス停からさらに歩いて到着。
%20-%205.jpg)
市電が廃止された翌年1973年8月に
滝頭車両工場跡地に開館されたもの。
%20-%208.jpg)
こちら横浜市電最後のポール
神奈川新町の国道15号線の歩道に
奇跡的に残っていたものだそうで、
横浜大空襲被弾の跡が残ります。
%20-%2016.jpg)
電停の看板とともに
"EXみなとぶらりチケット"が買える。
発売は「EXご利用票」を見せると、
市営地下鉄 新横浜駅 窓口でゲット。

滝頭エリアへの〜〜が気になりつつ
%20-%201.jpg)
吉野町駅から程なく歩き"中村橋バス停"へ…
%20-%202.jpg)
"滝頭"バス停からさらに歩いて到着。
%20-%205.jpg)
市電が廃止された翌年1973年8月に
滝頭車両工場跡地に開館されたもの。
%20-%208.jpg)
こちら横浜市電最後のポール
神奈川新町の国道15号線の歩道に
奇跡的に残っていたものだそうで、
横浜大空襲被弾の跡が残ります。
%20-%2016.jpg)
電停の看板とともに
ズラリと"ちんちん電車"たち。
%20-%2068.jpg)
1910年(明治3)営業開始…
その後 線路を延長していきました。
元町から現在の麦田町にかけての
トンネル工事が最大の難関。
%20-%2067.jpg)
急坂を超えれない路面電車に、
トンネルは必須でしたが、
初めてのトンネル工事に
「両方から掘って、真ん中で
うまく結ばれるだろうか?」
そんな時代だったのです。
%20-%2071.jpg)
大正時代の終わり頃まで警察が
発行したのが「鑑札」というもの。
試験はなかったのですが、
乗務のときは常時携帯が
義務付けれらていてもので、
運転手も車掌も携帯していました。
%20-%2070.jpg)
%20-%2075.jpg)
横浜での関東大震災の被害は、
凄まじいものだったそうです。
%20-%2076.jpg)
1923.9.1 AM11:58
市内は火の海となり、
道路も陥没したり傾いたり。
大地がウネリを上げていた…
飴のようにレールが曲がり、
架線も切れ下がる…
運転中の電車も含め
多くの車両が焼失しました。
%20-%2027.jpg)
震災の復興はすぐに…
1か月後には逞しく走り出したとか。
%20-%2024.jpg)
貨車を改造した屋根のない
「バラック電車」を18両急造。
%20-%2025.jpg)
保存館に残されているのは貨車。
%20-%2018.jpg)
500型
1928年に大量60両導入、
車内の大天井もアーチ型、
内幕板の押縁に木座は手彫り。
震災復興の華やかな電車。
%20-%2032.jpg)
%20-%2036.jpg)
旧横浜駅東口大時計
1928年10月の駅完成時から
1979年2月まで、
東口正面で時を刻んできたとか。
%20-%2078.jpg)
1930年代になると市営バスが登場、
路線の拡大と車両が変化します。
%20-%2013.jpg)
1000型
震災復興事業である500型と
同時期に製造されたもの。
横浜市電としては初のボギー構造、
従来の車両に比べ非常に大型の車体。
%20-%2035.jpg)
乗車定員が120名、
車体中央部にも扉が設けられた。
%20-%2041.jpg)
ただワンマン化改造はされなかったため、
1969年までに全車運用を離脱したとか…
%20-%2037.jpg)
1100型
1000型に続くボギー車だが、
当時流行だった流線型、
側面も袖を絞られています。
路面電車では珍しい座席は
クロスシートを備え、
"ロマンスカー"と称される花形。
%20-%2038.jpg)
戦中期になってロングシートへと
変更されてしまったそうです。
使い勝手が良かったそうで、
全車ともワンマン化改造などを経て、
1972年の路線廃止まで継続使用に。
%20-%2082.jpg)
1945.5.29 横浜大空襲
市の42%が焼かれ2万人近くの
死傷者があったといわれます。
%20-%2080.jpg)
同年4月から度々、空襲に見舞われます。
横浜市電の乗務員は、
乗客を避難させても電車を離れることは
許されませんでした。
%20-%2031.jpg)
1300型
1947年登場し一挙に30両が製造。
こちらは登場当時の塗装である、
水色と白のツートンカラーを
基調としたものに塗り替えたもの。
%20-%2030.jpg)
キリンビールの看板が多かった。
%20-%2033.jpg)
%20-%2022.jpg)
1951年登場の1500型は、
市電輸送のテコ入れを図るべく
日立製作所にて製造された車両は、
デザインに新機軸採用の主力で、
戦後の横浜市電を代表する車両。
ワンマン化改造を受け多くの車両が
路線廃止まで残ったとか。%20-%2029.jpg)
%20-%2023.jpg)
間門電停は本牧三渓園前を通る
市電5系統の終点。
%20-%2034.jpg)
11系統は蘆名橋をスタートし、
桜木町駅や横浜駅へ到達。
%20-%2095.jpg)
横浜市電保存館でありながら、
蘆名橋から先は国鉄根岸線で代替、
滝頭へは鉄道路線が整備されず、
市営バスが走るのみ。
%20-%2057.jpg)
帰りのバスに乗るとき、
"みなとぶらりチケット"使えるか?
運転手さんも困ってはりました。
%20-%2086.jpg)
郊外都市として再先発の発展を遂げ、
大通りと軌道もあっという間に
びっしりと建物に覆われ、
自動車が埋め尽くし、
過大に思われた余力が%20-%2053.jpg)
%20-%2068.jpg)
1910年(明治3)営業開始…
その後 線路を延長していきました。
元町から現在の麦田町にかけての
トンネル工事が最大の難関。
%20-%2067.jpg)
急坂を超えれない路面電車に、
トンネルは必須でしたが、
初めてのトンネル工事に
「両方から掘って、真ん中で
うまく結ばれるだろうか?」
そんな時代だったのです。
%20-%2071.jpg)
大正時代の終わり頃まで警察が
発行したのが「鑑札」というもの。
試験はなかったのですが、
乗務のときは常時携帯が
義務付けれらていてもので、
運転手も車掌も携帯していました。
%20-%2070.jpg)
%20-%2075.jpg)
横浜での関東大震災の被害は、
凄まじいものだったそうです。
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1923.9.1 AM11:58
市内は火の海となり、
道路も陥没したり傾いたり。
大地がウネリを上げていた…
飴のようにレールが曲がり、
架線も切れ下がる…
運転中の電車も含め
多くの車両が焼失しました。
%20-%2027.jpg)
震災の復興はすぐに…
1か月後には逞しく走り出したとか。
%20-%2024.jpg)
貨車を改造した屋根のない
「バラック電車」を18両急造。
%20-%2025.jpg)
保存館に残されているのは貨車。
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500型
1928年に大量60両導入、
車内の大天井もアーチ型、
内幕板の押縁に木座は手彫り。
震災復興の華やかな電車。
%20-%2032.jpg)
%20-%2036.jpg)
旧横浜駅東口大時計
1928年10月の駅完成時から
1979年2月まで、
東口正面で時を刻んできたとか。
%20-%2078.jpg)
1930年代になると市営バスが登場、
路線の拡大と車両が変化します。
%20-%2013.jpg)
1000型
震災復興事業である500型と
同時期に製造されたもの。
横浜市電としては初のボギー構造、
従来の車両に比べ非常に大型の車体。
%20-%2035.jpg)
乗車定員が120名、
車体中央部にも扉が設けられた。
%20-%2041.jpg)
ただワンマン化改造はされなかったため、
1969年までに全車運用を離脱したとか…
%20-%2037.jpg)
1100型
1000型に続くボギー車だが、
当時流行だった流線型、
側面も袖を絞られています。
路面電車では珍しい座席は
クロスシートを備え、
"ロマンスカー"と称される花形。
%20-%2038.jpg)
戦中期になってロングシートへと
変更されてしまったそうです。
使い勝手が良かったそうで、
全車ともワンマン化改造などを経て、
1972年の路線廃止まで継続使用に。
%20-%2082.jpg)
1945.5.29 横浜大空襲
市の42%が焼かれ2万人近くの
死傷者があったといわれます。
%20-%2080.jpg)
同年4月から度々、空襲に見舞われます。
横浜市電の乗務員は、
乗客を避難させても電車を離れることは
許されませんでした。
%20-%2031.jpg)
1300型
1947年登場し一挙に30両が製造。
こちらは登場当時の塗装である、
水色と白のツートンカラーを
基調としたものに塗り替えたもの。
%20-%2030.jpg)
キリンビールの看板が多かった。
%20-%2033.jpg)
%20-%2022.jpg)
1951年登場の1500型は、
市電輸送のテコ入れを図るべく
日立製作所にて製造された車両は、
デザインに新機軸採用の主力で、
戦後の横浜市電を代表する車両。
ワンマン化改造を受け多くの車両が
路線廃止まで残ったとか。
%20-%2029.jpg)
1600型は1957年製造された
中型ボギー車で定員100名。
出入口を後部乗降口を
中央寄りに移したバス型配置、
車内はロングシートだが、
室内灯には大型の蛍光灯が採用、
より明るい車内に…
中型ボギー車で定員100名。
出入口を後部乗降口を
中央寄りに移したバス型配置、
車内はロングシートだが、
室内灯には大型の蛍光灯が採用、
より明るい車内に…
%20-%2023.jpg)
間門電停は本牧三渓園前を通る
市電5系統の終点。
%20-%2034.jpg)
11系統は蘆名橋をスタートし、
桜木町駅や横浜駅へ到達。
%20-%2095.jpg)
横浜市電保存館でありながら、
蘆名橋から先は国鉄根岸線で代替、
滝頭へは鉄道路線が整備されず、
市営バスが走るのみ。
%20-%2057.jpg)
帰りのバスに乗るとき、
"みなとぶらりチケット"使えるか?
運転手さんも困ってはりました。
%20-%2086.jpg)
郊外都市として再先発の発展を遂げ、
大通りと軌道もあっという間に
びっしりと建物に覆われ、
自動車が埋め尽くし、
過大に思われた余力が
時代の波の中で失われたのです。
%20-%2063.jpg)
エントランスにあっった
横浜三塔と横浜市電のジオラマ。
横浜市電が1972年という
早い時期に全廃されたのは、
横浜市発展があまりにも急激だったから。
%20-%2060.jpg)
軌道が専用軌道であったならば、
都市交通として生きながられたかも…
%20-%2063.jpg)
エントランスにあっった
横浜三塔と横浜市電のジオラマ。
横浜市電が1972年という
早い時期に全廃されたのは、
横浜市発展があまりにも急激だったから。
%20-%2060.jpg)
軌道が専用軌道であったならば、
都市交通として生きながられたかも…
坂と山手の多いYOKOHAMAでは、
今の選択しかなかったのでしょう。
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2023年7月19日オープンの
ハマジオラマには、
ハマジオラマには、
大観覧車にランドマークタワー。
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市電と市バスが併用されてる!
%20-%2055.jpg)
横浜三塔
%20-%2058.jpg)
JRが走り
%20-%2052.jpg)
新幹線の新横浜駅
%20-%2059.jpg)
そして地下鉄駅がみえる
%20-%2048.jpg)
山手の洋館
%20-%2050.jpg)
赤レンガにハンマーヘッド
%20-%2051.jpg)
こんなに空いてないよね…
%20-%2015.jpg)
日本大通県庁前電停
%20-%2088.jpg)
かつてのキングの塔下を走るチン電。
%20-%2064.jpg)
%20-%2097.jpg)
横浜によく来ると受付で話したら、
ポイントカードをもらいました。
貯まるとは思えないけど(苦笑)
%20-%2010.jpg)
トラキチの渡辺謙さんも
来たことあるとか…
地下鉄市バス乗り継ぎではないな。
%20-%2096.jpg)
横浜市電保存館
開館時間 9:30〜17:00(入館16:30まで)
休館日 毎週水曜日・木曜日
(祝日開館、振替休館はなし)
年末年始(12/29~1/3)
最寄りのバス停は「市電保存館前」「滝頭」
%20-%2056.jpg)
市電と市バスが併用されてる!
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横浜三塔
%20-%2058.jpg)
JRが走り
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新幹線の新横浜駅
%20-%2059.jpg)
そして地下鉄駅がみえる
%20-%2048.jpg)
山手の洋館
%20-%2050.jpg)
赤レンガにハンマーヘッド
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こんなに空いてないよね…
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日本大通県庁前電停
%20-%2088.jpg)
かつてのキングの塔下を走るチン電。
%20-%2064.jpg)
%20-%2097.jpg)
横浜によく来ると受付で話したら、
ポイントカードをもらいました。
貯まるとは思えないけど(苦笑)
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トラキチの渡辺謙さんも
来たことあるとか…
地下鉄市バス乗り継ぎではないな。
%20-%2096.jpg)
横浜市電保存館
開館時間 9:30〜17:00(入館16:30まで)
休館日 毎週水曜日・木曜日
(祝日開館、振替休館はなし)
年末年始(12/29~1/3)
最寄りのバス停は「市電保存館前」「滝頭」