なごやぶらり 古川爲三郎記念館


元々富裕層の別荘地として栄えたという
歴史のある名古屋"覚王山"に近く
古川爲三郎さんの私邸へ

敷地南面の街路からやや奧に開く正門、
入母屋造桟瓦葺、縁辺部檜皮葺、
左右に袖塀を付されています。
本柱と控柱に節付丸太、柱間は土壁、
天井は鏡天井、垂木は磨いた丸太を
扇にあばらに配置し、
表構えを華やかに演出しています。
別邸の主屋とともに
登録有形文化財の指定となっています。

1934年に料理旅館"向陽館"の
別館として上棟され、
1945年に古川爲三郎の
所有となって住居となったもの。
一部戦災を被った部分に手を加え
増築もあったものの、
1993年まで創建時のまま
維持されてきたようです。

訪れた日はアーティストたちの
ワークショップが開かれていました。
こちらは近藤正勝さんの
山と渓間(ピンクストライプ)

三田村光土里さん《光の歩く部屋

邸内における唯一の洋間 "浮観の間"
建築家 吉柳満氏によって改築された壁。

敷地東寄りに東面して建つ 爲春亭
南西側を懸造で庭園に張出す外観。

まずは外を眺めながら一服
陶芸作家さんの瀬戸焼茶碗で…
季節の上生菓子"引きちぎり"。

お庭に目をやると…
黒い盆で陶器たちがグルグル。
中田ナオトさんの"シネマセン"

どでかいスプーンとフォークを添えて

中田ナオトさんは1973年、愛知県生まれ。
焼成によって変化するやきものに、
「見える・見えないの行き来によって
 感覚をゆさぶりながら、
 新たな発見と楽しさを求めて制作」
とか。

いつもの庭園とは違った印象を
展開してはりました。

実業家 古川爲三郎さんのこと…
若干18歳で養父の貴金属店を再興、
28歳には九州の炭鉱会社を買収。
経済恐慌下すらも現金事業に舵をとり、
31 歳で名古屋大須に
映画館「太陽館」を開館
しかし第二次世界大戦によって、
築いた全てが戦塵と消えるのです。

それでも爲三郎は翌年には映画館再興、
飲食と娯楽を兼ね備えた画期的な
レジャー施設を誰よりも先駆ける。
時代を先取りした人でした。

「私蔵することなく広く皆様に
 楽しんでいただきたい」

フルタメさんと親しまれた
希代の実業家は日本のみならず
世界に轟くこととなって、
海外経済専門誌『フォーチュン』
98歳で富豪として紹介されたとか。

手腕の秘訣は
"時代を先読みする卓越した勘"
"理不尽な力に負けない強靱な精神力"…

米山よりこさん "こめのゆめ太郎庵"
炊いた米が一粒ずつ絹糸ストリングスに、
天井から四方に向けて広がっていて、
照明を受け米がキラキラと。

中田ナオトさん《猫の手も借りて

尾張の茶人 織田有楽斎の「如庵」を
模した二畳半台目の茶室 "知足庵"。

床の間にアート

こちらも現代アート

木曽の寝覚めの床をイメージした
岩組みには水のせせらぎも。



贅をつくした飛び石



古川美術館分館 爲三郎記念館
 地下鉄東山線「池下」駅
  1番出口より東へ徒歩5分
 休館日 月曜日(祝日の場合は翌平日休)
 時間 10:00~17:00

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