サッポロ歩記3 豊平館


ウルトラマリンブルーの洋館
開拓使直営の洋風ホテルとして、
1880年(明治13)11月に建築、
中央区北1条西1丁目にあったもの。

設計を開拓使工業局営繕課が担当、
1879年に起工され翌年に竣工。
当初の旅行者の宿泊施設は、
本陣、脇本陣、本庁分局などの
施設をあてていたようですが、
新たな宿泊施設の必要性が高まり、
それに応えたものでした。

"豊平館"の名は、工事入札直後に
決まったものだったとのことですが、
地名"豊平"は「トイェ・ピラ」のアイヌ語、
"くずれかけた崖"という意味で、
急流であった豊平川の川岸の
一部分を指し名づけられたようです。

建物は、木造総二階建

翼屋の両端を前後にわずかに
突出され正背面に切妻をみせます。

白い外壁にウルトラマリンブルー、
軒蛇腹に窓枠周りに色づけ
当時高貴な宝石として
重宝されたラピスラズリ=瑠璃から
作られた貴重なものでした。
1982年から5年かけての大改修、
北海道大学の分析により、
現在の色に復元されたもの。

車寄せにコリント様式の柱頭飾り

装飾的な手すりのバルコニーは欧風様式
正面大屋根には円弧形のペディメント
中央には和風意匠の懸魚も認められる。
アメリカ風建築様式を基調としつつ、
各所に日本の伝統的な意匠を鏤め、
ヨーロッパの建築要素もふんだんに。



ロビーにある上り口のすぐの
ところで矩の手に折れ上がる階段…



曲線の美しさとその装飾、
高い技術で仕上げられています。



カーテンの柄は"牡丹唐草"、
ようやく国産化に成功した
洋織りの生地は京都西陣織で、
ただ現在使われるのは、
再現して織られたものです。

8組あるシャンデリアのうち4組は、
建設当初から吊られていたもの。
当初 ガス式灯具を導入し、
ローソク灯として使用しましたが、
1922年の昭和皇太子行啓の折、
電灯に切り替えられました。

コックが付いているのは、
当初はガス式灯具だったことを伝えます。

シャンデリアの吊元にある天井中心飾は、
漆喰を盛り付け、立体的に仕上げた
"鏝絵" (こて絵)と呼ばれるもので、
当時の職人の技術の結晶、
漆喰芸術は建設当初の15基に加え、
復原された2基が存在します。
こちらは"芍薬"がモチーフ。

明治天皇行幸の際に、
侍従長などの部屋とされました。



広間には”大菊

天井中心飾に用いられている
モチーフ「椿」が室名、
こちらには金屏風が広げられ、
総合結婚式場として使われた
歴史を伝えています。

「芙蓉寝間」では式の写真が
スライドショーで常時公開され、
芳名録なども並べられていました。

1958年から開催された
北海道大博覧会の郷土館
美術館に利用されたのち、
総合結婚式場として開館
由緒ある結婚式場として親しまれ、
1967年頃までは年間1,000組以上の
挙式が行われるほどで、
市内で代表的な式場だったそうです。

戦中戦後は陸軍北部軍
進駐軍が三越札幌支店を接収により、
三越が豊平館で営業を行ったとか。
札幌市に豊平館が戻ったのは、
1947年10月になってから。

1956年になって新市民会館の
建設するため建設予定地に…
完成から76年の豊平館…
残そうという意見が多く、
移築保存が決定しここ中島公園に、
1958年5月のことでした。
芍薬寝間
寝台・洗面台などが
配置されています。
こちらは当時を再現したもの。





地下鉄駅の壁にも"豊平館"



島口喗生 画 
浪漫地詩図夢シリーズ「札幌」より

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