村井吉兵衛さんちの長楽館を知る①


八坂神社の山手…円山公園の一角に、
異趣を漂わせる洋館が建っています。
カフェは常に行列ができていて…
3階以上の内部公開は稀なこと…
12月26日まで京都市京セラ美術館
おこなわれている開館1周年記念展
モダン建築の京都」とのコラボで
"限定公開"ということで見てきました。

建築は1909(明治42)年のこと、
たばこ王と言われた村井吉兵衛さんの
"別邸"として建てられたものです。

ホールからバルコニーを見上げると、
分厚い木板に太く「長楽館」と
金泥で書かれた文字は伊藤博文の揮毫
1909年(明治42)5月25日から3日間、
木戸孝允の墓参のため来泊
井上馨 侯爵、渡辺・杉 両子爵、
菊池 京大総長を招いて宴を催しました。
席上 伊藤は扇面に
「煙雨東山囲瑗楼 従談既往忘恩讐
 前述大計君林間 都附掌中酒一籌」

と詩をしたため、
『無心挿柳柳成緑 有意植花花不開』
と即吟じられてのだと伝わります。

伊藤博文は村井吉兵衛夫妻らが
長く楽しむという意味で命名…
近くに「長楽寺」があるのを、
伊藤博文は頭に入れていなかった

伝わっています。
漢詩の意は次のようだとか…
「俗欲をもたず
 無心で土に挿した柳の木は、
 緑の葉を付け立派に育つが、
 俗欲を持って植えた花は、
 咲くことなく枯れてしまう。」

今も色褪せない「柳成緑」の言葉。

表門の石柱やその脇のタイル張りの柱は
建築当時のままですが…

当初に比べていまのがシンプルなのは、
戦時に鉄供出した名残です。

玄関前の大きな雪見燈籠は、
先代の所有者であった
土手富三氏が置いたものです。
竣工直後の写真にも
立派な松の盆栽が二鉢写っていて、
「洋の中に和がある」いかにも
長楽館らしい光景は当初からのもの。

その逆のエピソードもあります。
洋館玄関によく見かけるスタイル、
立派な獅子の石像の姿は、
当初は存在していたようですが、
土手富三氏が入手したときには
なくなっていたそうです。
先代は復元のために
似た獅子像を探しましたが、
良い物がみつからず、
やむなく獅子ではなく狛犬を…

置いてみたものの、
どうもしっくりこなかったようで、
間もなくお隣の八坂神社常磐新殿
新築されることを聞き、
この狛犬の寄贈を申し出たとか。
実際に設置されたのは1999年9月のこと、
先代は設置を見ずに他界されましたが、
立派に鎮座しているのを改めて…
写真は八坂さんの南楼門の銅の狛犬、
常磐新殿のは石像だそうです。

前庭の大きな木はヒロハノナンヨウスギ
数年前、植木屋さんが手入れのため
枝を間引かれた直後から、
葉が茶色になって枯れ出したとか…。
植木屋さんに伝えたところ
あっ、しまった。春秋反対や!

実はこの木は南半球に繁殖する木らしく、
剪定の時期も日本とは真反対。
その後、植木屋さんの手当の甲斐あって、
今は元気に…
ヒマラヤスギとともに、
ヒロハノナンヨウスギは、
東山区の「区民の誇りの木」とか。

外観はルネッサンス様式
構造は煉瓦造り3階建。
1層目は石、
2・3階にあたる2層目には
黄色いタイルで施されています。

村井はこの独特のオレンジがかった
黄色にこだわったそうです。
当時 村井は
旧帝国ホテルの役員も兼ねており、
ライト設計の旧帝国ホテルの建築にも
関わっていた由縁で、
オレンジタイルは常滑の工場
別に焼かせたそうです。

設計者は立教大学の初代学長でもあった
アメリカ人 J・Mガーディナー

「どこにも“和臭”が感じられないのに驚く。
 日本人建築家の西洋館には、
 どこか“締まらない”というか
 “骨格の意識が薄い”。ところがあり、
 それが和臭として感じられるのだが、
 それが全くない。」

東京大学の藤森照信 教授の評。※1

イオニア式門柱
玄関には村井家家紋の三つ柏

床下の排気孔



重厚な雰囲気を漂わしています。

ベランダは円山公園に突き出るように…
京都盆地の山並み、
遠くは鬼門除け比叡山
実は村井吉兵衛が1916年に建てた建物、
あとひとつが比叡山の迎賓館として
残されています。
もとは東京山王台に建てた豪邸
「山王御殿」といわれる村井邸
「京都の二条城の書院にならった
 旭光の間などは、
 なげしに陰した照明が間接的に
 格子天井を照らし、部屋全体がまるで
 朝日のように輝いたといわれる。」※1
比叡山への移築は1928年のこと、

延暦寺法務部にこんな記録が残る
「現在閣議中である昭和3年11月に
 京都で御大典が行われると
 これに近い比叡山延暦寺は、
 勅願の寺だから大勢の宮家、
 高官が登山参拝されることになる。
 ついては東京で旧村井邸が
 売りに出ているので
 これを購入し迎賓館にあてはどうか。」※2

「大正4年11月、
 京都で御大礼が執り行われました。
 18カ国から特派使節が参列しますので、
 その宿所探しが始まりました。(中略)
 結局、「京都ホテル」のほか、
 村井別邸の長楽館
 京都商工会議所の三ヶ所に
 分宿することが決まり、
 次のように割り当てられました。
 長楽館=露、伊…」
 『京都ホテル物語』より。
長楽館は大正天皇、
山王御殿は昭和天皇…
村井吉兵衛は二代の天皇御大典に
関わっているのです。


※このブログは長楽館広報誌「長楽未央」
 参考にしています。

※1「建築探偵・近代日本の洋館を探る」
 藤森照信著 1998年11月 NHK人間大学
※2「たばこ王村井吉兵衛と比叡山延暦寺書院」
 今出川行雲著 2016年 比叡山延暦寺

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