四天王寺七宮めぐり 四 上之宮神社


四天王寺七宮の最北端にあった
上之宮神社跡の碑石
近鉄上本町駅をほどなく南下すると、
"上之宮"という地名にたどりつきます。

その地名を題する"上宮学園中高"、
1890年 浄土宗学大阪支校として
設立されたのを源流とする
大阪で最古の私学、
長らく男子校でした。

Google Mapであらかじめピンを
打っていた場所をウロウロ…
この歌碑と生誕地しか見当たらない。

上之宮址碑がどこにも(TдT)

碑石がある植え込みは、
"上之宮ハイツ"のはずなんだけど…
歌碑とおぼしき石には、
"上之宮舊址"とあるが…
かなり感じが違うけど、
これに変わったのか?と。

あとで調べると歌碑は、
国学者 生田南水
「百済野の むかしかたりて
 露の萩
」と刻まれる。
もうひとつは
"生田 花朝女 生誕地碑"、
生田 花朝女は、
明治から昭和にかけて生きた
1889年生まれの女性日本画家、
天王寺区上之宮町のゆかりの地。

おふたりは親子関係で、
父の生田南水の方は、
上之宮の神官を勤めていた
家に生まれ、日本の歴史や国学、
和歌や俳句などに通じた人で
大阪の"博学者"として
広く知られていました。
四天王寺境内には二人の歌碑、
南水のは
「ふる花の ちりりたらりや 聖霊会」
花朝女句碑には
「行春の 島は人住む 煙かな」
とあるようで・・・
また探しに行こうかと思います。
話も寄り道が長くなりました ^^;

何度か通り過ぎて…
奥まったところに蘇鉄とともに。
ありました "上之宮址"
昭和な佇まいのマンション、
上之宮台ハイツ玄関前の
植え込み内に発見。

かたわらの小さな石柱には、
上之宮 是ヨリ壱丁東」。
上之宮神社はこの辺りで
あったことを示す証。

聖徳太子が幼い頃に
過ごされた宮殿は、
上宮(かみつのみや) と呼ばれ、
奈良県の桜井市にある
磐余池(いわれのいけ)の池畔、
用明天皇の"磐余池辺雙槻宮"の
南隣にあったと『日本書紀』には、
その記述が認められます。

1798年の『摂津名所図会』、
欽明天皇神祠
 天王寺中町にあり、
 上之宮と称す。
 此所の生土神なり。
 摂津志に云ふ、
 熊野御幸記に見えたる
 上野王子とす。」

上之宮神社の御祭神は
欽明天皇とされていますが、
欽明天皇と太子との間には
濃い血縁関係がありました。
上野王子は、
熊野九十九王子
4番目にあたりますが…
熊野信仰は平安時代よりのこと、
謎が深まるばかり…

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