袖章とプロ野球③ カープとベープ


プロ野球のなかで唯一「市民球団
と呼ばれるカープ
球団創設当初からしばらくの間、
地元政財界の融資による出資で
運営されていたことが
その名称が定着した理由。

1953年、シーズン4位の大躍進。
その立役者は大洋松竹ロビンス
から移籍の小鶴誠と金山次郎、
日系二世の銭村建三、建四兄弟
などの新入団選手たちのお陰。

チーム力強化のために
"選手獲得募金"を行った後援会の
協力によって実現しました。
いわゆる樽募金というやつ。

地元の企業のフマキラー
資金援助を申し入れ、
その印としてユニにはフマキラーの
ワッペンを付けてプレーしました。
今では当たり前となった
スポンサーマーク、
実は日本野球界全体での第一号は、
このフマキラーのマーク。


地元の大下回春堂の当時の社長、
大下俊春さんが球団取締役だった縁、
資金援助の見返りとしての広告とか。

1952年のはフマキラーの
企業ロゴに金糸の鯉
綴られていたようです。

帽子にもカープの C に "フ"

1968年からは東洋工業
現在のマツダの松田恒次さんが
オーナーに就任し、
球団名が「広島東洋カープ」に
変更されました。
1968-1970のユニの左袖には、
紺に白く縁取りの "TOYO"

Cひと文字の下にCARPの文字が左胸。
そして袖にはHIROSHIMAと入る。
1989-1995のホームユニ。

火の玉カープが付けられたのは、
2006年のこと。

そして左袖にはマツダ
スポンサーマークが復活。

ビジユニにピンストライプ、
袖だけ色違いは当時メジャーの
エンゼルスが採用したもの。
袖マークは右投げ選手は左に、
左投げは右に付けられていました。

2011年8月に限定復刻された
"カープ黄金時代"のビジユニ
本拠地で身につけたブルーの
ユニフォームは「江夏の21球」を
思い出させるもの。
本拠地で使われたので右袖に
mazdaのスポンサーワッペン。


2005年から登場のマツダロゴ、
実は前年の新車『ベリーサ』の
車名入りステッカーが
ヘルメットに貼って
6試合を戦ったのは、
無償で貼られていたのだとか。

この頃からヘルメット塗装も
マツダの特別な赤「ソウルレッド
プレミアムメタリック」をイメージ。
カープの「鮮やかな赤を」という
リクエストがある一方、
まぶしすぎないようにとの配慮も。
ナイター照明を実際につけて、
光り具合をテストしたとも。

時代が移ってフマキラーとカープ、
マツダスタジアムの外野フェンスには、
フマキラーベープの広告が健在。

蚊っとばせフマキラー・プレミア
にはカープ坊やが登場。
いまなおベープとは昵懇なのです。


スポンサーマーク誕生の動画(フマキラー)


※このブログは以下の記事を参考にしました。
 フマキラー株式会社のお役立ち情報
 日本の野球界で初めての
 スポンサーマークを付けた広島カープ。
 広島東洋カープのヘルメットは
 マツダのソウルレッドと同じ色!?

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